2020-04

2019・6・23(日)広上淳一指揮京都市交響楽団 東京公演

      サントリーホール  5時

 京都市交響楽団の演奏は、びわ湖ホールでのオペラや京都市コンサートホールでの演奏会などで、年に複数回は聴いているが、サントリーホールで聴くのは、私としてはあの超ド級快演のマーラーの「巨人」以来、5年ぶりになるか(京響の東京公演そのものは2年前にも行なわれているはずである)。

 今回は、常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一の指揮のもと、ブラームスの「悲劇的序曲」、コルンゴルトの「ヴァイオリン協奏曲」(ソロは五嶋龍)、ラフマニノフの「交響的舞曲」、エルガーの「ニムロッド」(アンコール)が演奏された。客演コンサートマスターは寺田史人。

 五嶋龍の若々しい雰囲気のステージも客席を沸かせていたけれども、私としてはやはり広上淳一と京都市響の変わらぬ快調ぶりに熱狂させられる。このオーケストラ、管も良いが、特に弦楽器群の音の輝かしさと、柔らかく、ふくよかな美しさは、国内オーケストラの中では随一だろう。何より魅力的なのは、その演奏全体にあふれる「あたたかさ」ではなかろうか。

 「悲劇的序曲」では、翳りの中にも、ブラームス特有の優しさが甦る。
 コルンゴルトの協奏曲では、この作曲家が持つ妖しい官能性が驚くほど見事に再現されていた━━五嶋龍のソロにもその叙情性が聞かれたが、それと対照的な激した部分とがもう少し流麗なバランスで構築できていればとも思う。

 「交響的舞曲」でも、よくあるような荒々しい攻撃的な演奏になることなく、むしろ豊麗さが優先された、叙情的なあたたかさを備えたラフマニノフ像、とでもいったものがつくり出されていた。
 もっとも、そのため、第3楽章で「怒りの日」などのモティーフが暴れ回る部分のような、リズミカルな躍動感は少し薄らいだ感はあったかもしれない。だがその一方では、第2楽章での━━瞬時ではあるものの━━クルト・ヴァイル的な妖しさが顔を覗かせる個所での面白さは、巧く出ていたような気がする。そしてそれが、コルンゴルトの作品との微妙な関連性を感じさせもしたのである。

 余談だが、カーテンコールの際、かつては京響のステージにあふれていた女性楽員たちの花咲くような笑顔が、どこかへ消えてしまっていたのは、寂しい。愉しさを分かち合うようなあの雰囲気は、演奏が終ったあとのホールを和やかにしていたものだ。
 ただその代り、終演後のロビーで、ずらり並んで笑顔でお客を見送る楽員たちの姿が、多数見られた。各都市のオケは、地元のホールではたいていこれをやっているが、東京公演でやるのは、珍しい。

コメント

大阪特別公演を拝聴しました

七夕の大阪公演は、プログラムは、違いましたが、私も東条先生と同じく、笑顔の消えたカーテンコールには、少しがっかりしました。割れんばかりの拍手ですのに、ちょっと冷たい感じがして残念です。

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