2020-07

2019・6・22(土)渡邉暁雄生誕100周年記念演奏会

    サントリーホール  2時

 今年は、日本フィルハーモニー交響楽団の創立指揮者・渡邉暁雄の生誕100年にあたる。ただし、彼の誕生日は6月5日。
 今日・22日は、彼の命日(1990年)であり、また日本フィルの創立(1956年)記念日でもある。

 上皇ご夫妻も臨席(演奏会前半のみ)されたその日本フィルの記念演奏会のプログラムは、前半がシベリウスの「フィンランディア」、ガーシュウィンの「ピアノ協奏曲へ調」、小山清茂の「管弦楽のための木挽歌」、後半がマーラーの「第5交響曲」からの「アダージェット」と、シベリウスの「第5交響曲」というもので、終演は4時半になった。
 指揮が藤岡幸夫、コンサートマスターが扇谷泰朋。「フィンランディア」での合唱は日本フィルハーモニー協会合唱団。「協奏曲」でのピアノは寺田悦子、渡邉規久雄、渡邉康雄が、各1楽章ずつ弾いた。

 このプログラム、シベリウスの作品をはじめとして、いずれも渡邉暁雄及び日本フィルとは縁のある作品だ。
 「管弦楽のための木挽き歌」は昔、日本フィルの演奏で何回か聴いたことがある。特に第4曲では、首席ティンパニだった故・山口浩一氏が、楽器を自分の周りに並べ、自らクルクルと回転しつつ叩いて行くのが名物だった。現在の首席奏者エリック・バケラはそんな芸当をせずに鮮やかに叩いていたが。

 ガーシュウィンのコンチェルトは、1957年4月4日の日本フィル第1回定期演奏会のプログラムに含まれていた曲でもある。あの時代、これを定期の曲目に取り上げたことは、いかにもジュリアード音楽院指揮科に学んだ渡邉暁雄らしい、と、当時も誰だかがラジオで喋っていたような記憶がある。
 今日は「渡邉暁雄一家」の人々3人がこのコンチェルトの3つの楽章をそれぞれ1楽章ずつ弾くという、些か内輪的なイメージの企画が実施されてはいたが、まずは微笑ましいものと称しておこう。

 余談だが、私が学生の時、軽井沢は千ヶ滝に西武のスケートセンターが在った頃、そこの大きな池で、ボートに乗っておられた渡邉暁雄氏一家をお見かけしたことがある。男の子さんも確か2人ほど居られたから、きっと前述のどなたかだったのではあるまいか。
 われわれ不良学生(?)3人の乗ったボートを漕いでいたヤツが、私が「やめとけ」と止めるのも聞かずに渡邉氏のボートに接近、わざとぶつけておいて、「失礼しました、すみません」と大声で謝ると、渡邉氏がにこやかに「いやいや」と応じて下さった。ヤツはそのあと、「渡邉アケさんと話ができた!」と、大いに悦に入っていたのであった。
 私自身も十数年後、その渡邉暁雄氏と、放送その他でいろいろ仕事をご一緒に出来ることになるとは、その時はもちろん、想像もしていなかったが。

コメント

渡邊暁雄

東条先生は私よりずっと先輩てすから、渡邊暁雄氏とは懇意になさっていたと想像しますが、私も旧日本フィルの定期会員に3年なっておりましたので、当然のことながら、渡邊氏の演奏には、定評あるシベリウスを始め数多く接しております。その中でも、山田耕筰の交響曲「かちどきと平和」は、当時は総譜が失われ、パート譜のみに依って困難な演奏が行われたと言うことを最近知って、すでに恵まれない状況だった旧日本フィルで、このような努力がなされていたのに改めて感動しました。

What a column !
何という素敵なコラムだろう❗️
田舎の中の田舎、辺境の中の辺境である東九州は大分に住むファンにとって、日本フィルはスペシャルなオケ。40年以上も続けて来県してくれてるのだから。
その創立指揮者である渡邉暁雄氏、そして今年2月に正にその日フィルと来てくれた藤岡幸夫マエストロ❗️
いつもと一味違うコラムにいつもと違う感慨。

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