2019-07

2019・6・15(土)ユベール・スダーン指揮東京交響楽団

     サントリーホール  6時

 6月定期。シューマンの「マンフレッド」序曲で開始、次に同じくシューマンの「ピアノ協奏曲」を、ソリストに菊池洋子を迎えて演奏。休憩後はチャイコフスキーの「マンフレッド交響曲」で盛り上げる。
 コンサートマスターは客演の郷古廉。

 コンサートでの東京響は、快調だ。
 秋山和慶がしっかりとまとめたアンサンブルを土台にして、スダーンが精緻な音楽を構築して演奏水準を目覚ましく引き上げ、そのあとにジョナサン・ノットが大きな花を開かせた━━ともいうべきこの東京響。
 久しぶりに戻って来たスダーンは、その髙い水準に達したこの楽団を、今や楽々と乗りこなしながら自分の音楽を愉しんでいるようにも見える。

 というのは、スダーンの指揮はこのところ、また新たな変貌の時期に入ったようにも感じられるからだ。2000年代の彼は、寸毫の緩みもない、厳格に引き締まった構築の演奏を創って来たが、今はその音楽にもやや余裕を生じさせ、いっそうのふくらみと、大きさと、深みを感じさせるようになって来たような気がするのである。

 それを最初に感じたのは、まず「マンフレッド」序曲の冒頭、弦楽器群の柔らかい、翳りのある壮大な、悲劇的なニュアンスの素晴らしさだった。また、協奏曲でのオーケストラの演奏にも、以前のスダーンの指揮に比べて、さらに伸びやかな歌が加わって来たような気がする。

 そして「マンフレッド交響曲」の演奏には、やはりスダーンらしい突き詰めた厳しさが現われていたが、それでも中間2楽章では、所謂「チャイコフスキー節」が、なかなか雰囲気豊かに再現されていたのである。これまでスダーンの指揮するチャイコフスキーはあまり聴いたことが無かったのだが、今回は、彼もこういうチャイコフスキーをやるんだ、と、彼の芸域の拡がりに何故か安心したというか━━。
 なおスダーンは今回、第4楽章の締め括りに、第1楽章終結部の最強奏による激烈な結尾を転用する版を使った。楽屋で彼は「自分はこれが一番好きだ」と語っていたが、私もナマ演奏で聴く場合には、この方が面白くて好きである。

 菊池洋子がシューマンのコンチェルトを弾くのも、今夜初めて聴いた。彼女の演奏会ではやはりモーツァルトを聴く機会が多いのだが、10年ほど前にOEKとのラヴェルのコンチェルトを聴いたことがあって、これが実に素晴らしくて感服した記憶があるので、他の作曲家のコンチェルトも聴いてみたいなと以前から思っていたところなのである。
 このシューマン、直截ながら精妙で瑞々しく、すこぶる魅力的だった。

コメント

「第4楽章の締め括りに第1楽章終結部の最強奏による激烈な結尾を転用する版を使った」←このことが事前に判明していたらば、聴きに行ったでしょう。残念でなりません。私もこちらが断然好きです。 スヴェトラーノフもこちらの版で演奏していた。以後、この曲を演奏する団体は、このことをキチンと明記するべき。この終結部だけでも曲の印象は随分と違って聞こえるのだから。

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