2019-08

2019・4・13(土)ジョナサン・ノット指揮スイス・ロマンド管弦楽団

     東京芸術劇場 コンサートホール  2時

 東京公演最終日のプログラムは、メンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲ホ短調」とマーラーの「交響曲第6番イ短調《悲劇的》」。

 協奏曲を弾いたのは、2016年のモントリオール国際コンクールに優勝し、5つの特別賞も総なめにして話題を集めた辻彩奈である。
 若手にも似合わず、ステージ上の姿は堂々として大物のイメージだが、もちろん姿だけでなく、演奏も堂々としてスケールが大きい。何より表情が濃厚で、音楽に鋭い陰翳が備わっているところに、強烈な個性を感じさせるだろう。22歳の若さでこれだけ明快な、しかも筋の通った自己主張を聴かせるとは、実に驚異的な女性ヴァイオリニストだ。

 今日のプログラムについてノットは、「前半(メンデルスゾーン)は喜びへの情熱、後半(マーラー)は絶望への情熱」と語っている(プログラム冊子掲載のインタヴュ―記事)。
 ただ、実際の演奏では、彼の指揮するマーラーの「悲劇的」は、さほど重苦しくはなく、ものものしくもない。どちらかと言えば軽めで、明快な色合いを持った演奏だろう。それゆえ、その絶望は救いようのないものでなく、爽やかで情熱的な若者の苦悩━━とでもいったイメージになるだろうか。全てのパートの隅々まで神経を行き届かせ、巨大で激烈な起伏を以って構築した「悲劇的」である。

 といっても、フィナーレだけは、ノットはこの長大な楽章に形式性を持たせることに少々手を焼いているような気がしないでもない。ひたすら音のエネルギーのみで追い上げるだけでは、この楽章は、やはり騒々しく纏まりを欠くものになりかねないのではないか。その意味では、結局は、マーラーが考えていたような、英雄の闘いとか、運命の打撃とかいったような、標題的な解釈が必要になるのかもしれない。
 今回は、「スケルツォ」が第2楽章に、アンダンテが第3楽章に置かれて演奏された。

 カーテンコールでノットは、オーケストラの中を走り回り、各々のパートの奏者たちを立たせて聴衆の拍手に応えさせていた。最後には、自らも聴衆の熱狂的なソロ・カーテンコールに応えていたが、彼のこの人気は、今後の東京響との活動にも良い影響を与えることだろう。

コメント

 同じ演目を上野で聴きました。ただ、Aプロの最初の日のためか、個人的には、全体的にアンサンブルにしっくりこないところが多いように感じました。
 このためか、コンチェルトも、独奏とオケとの掛け合いもいまひとつで、辻さんもいろいろ表現を試みているのですが、リズム、音程などの基本的な所への影響が出てしまい、表現自体もメロディ・ラインなどの肝心な部分を引き立たせるというより、何か特異なところに無理に表現を付けてしまっている感がありました。若さはある意味、特権なので、頑張ってほしいのですが、こうした内容、状況に理解があるとは思えないブラボー、特に4階席でいい年をした3~4人の男性たちが揃って声を掛け、バンバン、力んだ拍手をしていたのは、少々、興ざめでしたし、さぞかし周囲の方々も迷惑だったことと思います。
 一方、オケの方は、あるネットの記事に、必ずしもフレンチ・オーケストラとは言えず、ドイツ的な色も濃い、と分析した文章がありましたが、やはり、一般的なドイツのオケとは同列にできない、ということは、今回のマーラーでも、個人的に随分と感じました。指揮のノットは、よく言えば、主旋律の流麗な美しさや個性を出そうとしていた…そんな言い方もできましょうが、冒頭に書いたように、4楽章の最初の部分などは、何かグシャとした感じだったり、装飾音が不自然なところがあったり、管楽器のいくつかのパートでは自信無げ、あるいは音量も弱いと思われるところが多く、普通のドイツ系の、かっつりとしたオケとは異なる面白さはありましたが、個人的に充実感は今ひとつでした。。(他日の演奏は結構、良かったようですが…)それゆえ、この日は、終演後に、ノットが、上記のような感じだった管楽器奏者を立たせていたのは、個人的には違和感が残りました。
 日本の大御所といわれる指揮者の中にも、ほぼ全ての団員を終演後に立たせる方がいらっしゃいます。今年に入ってからも、この方の演奏会に1度行ったのですが、残念ながら、細かい表現まで行き届かず、演奏も指揮も重苦しい内容だったのですが、1人1人のスタンディングに加え(その内、数人はミスっぽい箇所もあり。)、大御所が壇上から「この曲は複雑で…難しいので…」と言い訳のようなことをおっしゃったのは少々、失望しました。
 素人風情で恐縮ですが、我々もプロの奏者の方々を様々な点からリスペクトし、期待をして料金を払い、コンサートに行くわけです。人間のすること、ミスはつき物ですし、体調不良を無理してなど、様々な事情があることは我々もわかっています。しかし、結果的に、肝心なところや目立ったミスをした人、ミスの多かった人まで、立たさせて賞賛させることは、いいことなのでしょうか。聴衆に対して(演奏をわかっている人に対しても、そうでない人に対しても)、それは間違いを重ねているように思います。失敗を取り返すプロの技とも違うでしょう。あるいは指揮者が本当に指揮とスコアに没頭して、楽員のミスに気付かないのであれば、指揮者としての技量がそれくらい、ということにもなるでしょう。ミスをしてしまった団員にとっても、変になおざりな状況しか残らず、後々、プラスにならないのではないでしょうか。
 大御所の方は、みんなで頑張ったのだから、という明るく、前向きなお考えかもしれませんが、それはプロとして当然でしょうし、アマチュアの方々も年数回の本番に向け、各々の仕事も多忙な中、頑張り、練習も頑張っているのです。  長くなりましたが、スタンディングは年1~2回のアマチュアの方々の演奏会ならわかるのですが、プロならば、本当に良かった奏者のみにしていただきたいところです。

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