2019-07

2019・3・30(土)上岡敏之指揮新日本フィル マーラー「復活」

     サントリーホール  2時

 音楽監督・上岡敏之によるマーラーは、これまで「4番」「5番」「6番」を、新日本フィルやヴッパータール響を指揮した演奏で聴いたことがあり、それらは部分的に共感できぬところもなくはなかったにせよ、すこぶる面白く感じられたものであった。

 今回の「復活」も、予想通り、実に緻密かつ精妙に練り上げられた演奏となっていた。冒頭の弦による開始も、叩きつけるように入るのではなく、ややフェイドイン的にジワリと入り、それから低弦を激しく衝撃的に出す、というように、凝った手法で行なわれる。全曲いたるところの細部に、このような、いかにも上岡らしい彫琢が施されている。その中には、スコアの指定とも関連して、私たちに新鮮な発見をさせてくれるところも少なくない。

 ただ、それはいいのだが、今日の「復活」を聴いていると、その一つ一つの個所に極度のこだわりを見せたあまりに、この交響曲全体を滔々と押し流すデモーニッシュな力と緊迫感が不足する結果が生じてしまったのではないか、という思いが、だんだん強くなって来るのである。
 随所に聞かれる極度の最弱音の持続(会場内の聴衆全員に聞こえぬような弱音に如何なる意味があろう?)や、第5楽章の合唱個所で採られる長いパウゼなどに感じられる緊迫性の欠如も気になる。

 最後の頂点におけるテンポの変化も、たしかにスコアには指定されているものではあり、マーラーの激しやすい性格が反映されていることは理解できるのだが、それがあまりに誇張され過ぎると、作品の持つ壮大さを失わせるのではないかという気もするのだ。

 P席をうずめた合唱(栗友会合唱団)は広がりと力感を発揮した。が、その一方、声楽ソロ2人(森谷真理、カトリン・ゲーリング)は、なぜかオーケストラとのバランス、つまり響きの溶け合いに異様なアンバランスを感じさせた。コンサートマスターは崔文洙。

コメント

お疲れ様です。
31日の横浜です。
大ロマン主義の壮大さはなかったものの、若書きの新鮮さを強調したようなアプローチは、好感が持てた。ただ神経質な感じは拭えず、あまり楽しめない。声楽では、カトリン・ゲーリングの豊麗な響きの歌唱が印象的。

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