2019-04

2019・3・14(木)シルヴァン・カンブルラン指揮読売日響「グレの歌」

    サントリーホール 7時

 シェーンベルクの大作「グレの歌」を日本初演したのは、ほかならぬこの読響だった。若杉弘の指揮で、1967年6月のことである。

 私も東京文化会館大ホールで、その演奏を聴いていた。だが、聴いた━━とはいっても、当時、この曲の真価を理解出来たとは、とても言い難い。たった一つ覚えているのは、ヴァルデマール役のテノール歌手が、終始、恐ろしく苦しそうな顰めっ面をしながら歌っていた━━この方はふだんからそういう顔をして歌う癖があるということはあとから聞いた━━ことだけ、という、我ながらお粗末な鑑賞力だったのはたしかである。

 それ以降、半世紀の間に、この曲をナマで聴く機会が、いくつあったか。ジェイムズ・レヴァインが東京でMETのオーケストラを指揮した演奏。秋山和慶が東京響を指揮した演奏。サイトウ・キネン・フェスティバルで小澤征爾が指揮した「舞台上演」。それから、あとは・・・・と、まあ、要するにそのくらい、演奏の機会の稀な大曲なのだ。
 ちなみに、かように滅多に演奏されぬこの「グレの歌」が、何故か今年はこのカンブルラン指揮読響に続き、大野和士指揮東京都響(4月)と、ノット指揮東京響(10月)と、計3つも競演されるのだから、偶然とはおかしなものである。

 それにしても、今回のカンブルラン指揮の読響ほど、オーケストラが豪放磊落に鳴りまくった演奏は珍しいのではないか。
 そもそもシェーンベルクの管弦楽法は、どんなに大編成であってもあまり分厚い音で鳴らないという不思議な傾向があるのだが、今日のカンブルランと読響は、ホールを揺るがせんばかりの大音響で、重厚かつ豪放に鳴りわたった。フルート8、トランペット6、ホルン10━━を含む超大編成のオーケストラが渾身の力で咆哮するさまは、何とも壮烈極まりない。
 だがそれは決して、ただむやみに怒鳴りまくる演奏ではない。むしろ、その音は極めて豊麗で、濃厚な色彩感と、決して無機的にならぬ厚みのある音で、この曲の後期ロマン派的な性格を全面的に押し出す演奏となっていたのである。

 それはそれで大いに結構なのだが、一方、そのワリを食って苦しい立場に追い込まれていたのが、ヴァルデマール役のロバート・ディーン・スミスだった。
 彼は苦しい顔もせず、しかも暗譜で楽々と歌っていた。だが、何しろ彼の出番のパートのほぼ全部が、大管弦楽の最強奏に彩られているのであり、しかもオケの鳴りがいいとなれば、あれを突き抜けて声を響かせることなど、不可能というに等しいだろう。おかげで彼の歌はその熱演にもかかわらず、あまりこちらに聞こえてこなかったのである。それは、第3部にのみ登場する新国立合唱団に関しても、同じようなことが言えたであろう。

 その他の歌手たち、レイチェル・ニコルズ(トーヴェ)、クラウディア・マーンケ(森鳩)、ディートリヒ・ヘンシェル(農夫・語り)、ユルゲン・ザッヒャー(道化師クラウス)は、みんな素晴らしい歌唱を聴かせてくれた。彼らの歌う個所は、あまりオーケストラの咆哮で妨げられることがなかったおかげで、それぞれの本領が聴かれたのである。とりわけ、2人の女声歌手の歌唱、その中でもクラウディア・マーンケの存在感は見事だった。

 総じてこの「グレの歌」は、圧倒的な量感に富む演奏だった。それはこの曲における、後期ロマン派音楽の壮麗な落日ともいうべき面を浮き彫りにしたものとも言えたであろう。その演奏の凄まじさは、カンブルランの近年の円熟と、読響の底力を如実に示すものでもあった。これは、カンブルランが読響で指揮した大曲の中でも、メシアンの「アッシジの聖フランチェスコ」とワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」とともに、記憶されるべき存在であろうと思われる。

 それにしても、これだけの歌手をそろえた公演がたった1回とはもったいない話だ。P席を合唱のために充てながらも、客席が満席とならなかったのも残念だったが━━やはり「シェーンベルクでは客集めが苦しい」のだろうか? それとも今日は、オペラシティでのハーディングとマーラー・チェンバー・オケの「モーツァルト後期3大交響曲」とぶつかっていた所為だろうか? 

 なおこれはカンブルランの常任指揮者任期完了による退任のお別れ演奏会シリーズの2つ目であった。コンサートマスターは小森谷巧。

コメント

カンブルラン ロス

素晴らしいコンサートでした!
カンブルラン・読響は初顔合わせの幻想交響曲、就任記念演奏会を振り出しに、トリスタン、アッシジ等、年に3回以上は通いました。実演に初めて接する曲目も多々あり、本当に楽しませてもらいました。このコンビのコンサートが4月からは聴けないという現実に未だ納得できないでいます。

バランス

いくらオーケストラが素晴らしかったとしても、ヴァルデマールと合唱が聴こえない「グレの歌」では・・・。そこをなんとかするのが指揮者の力量ではないでしょうか。

少し辛口です・・・。

ようやく春らしくなりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
小生も14日の公演を拝聴。豪華絢爛、壮麗な響きに身を浸し、素晴らしい演奏を堪能しましたが、カンブルラン&読響が到達した最高のレベルには僅かに届かなかったのではないか(最高の感動を味わったとまでは言えないように思う)というのが率直な評価です。
オケは熱演でしたが、これまでカンブルランと聴かせた、最高水準の名演に比べると、ほんの少し締まり・統制に欠ける面があったのではないでしょうか。独唱は、東条先生のご指摘のとおり、ロバート・ディーン・スミスの声量不足は(と言うのは酷かもしれませんが)全編を通じて欲求不満を招来しましたし、新国立劇場合唱団もいつもの見事な完成度には及ばず、音程・透明感とも今一つの部分がありました(オケの音量に負けじと力が入ったのでしょうか)。
もしこれが二回公演であったなら、二日目の公演ではもっと素晴らしい演奏になったのではないか、カンブルラン&読響ならもっとできたはず、と思いながら帰途につきましたが、この曲には、曲想そのものによる構造的な問題(演奏の難しさ、限界?)があるのかもしれません。
今週末の常任指揮者としての最後の幻想交響曲も期待しておりますが、大野和士さん指揮都響との聴き比べを楽しみにしております。

グレの歌、大編成ではありますが、聴いてみると緻密な音楽だな、と実演に触れ改めて思いました。演奏は美しく、またキレがありました。ソリストの声が埋もれたり男声合唱が明瞭に聴こえない箇所もありましたが~これは東条先生が書かれている「聞こえてこなかった」ところですね。

私自身は音楽鑑賞の軸足をオーケストラに移し、とくに読響、カンブルランを積極的に聴くようになって約一年。グレの歌も一年かけて聴く準備を重ねてきたので、一年間の総決算のような気持ちで臨みました。開演前も歌詞対訳を読み(字幕があるのは知っていたし見える席なのですが)、本番はなんだかすごい集中力をもって聴きました。
かつてカンブルラン指揮の演奏会で得がたい興奮や感動をもらい、次の演奏会、次の曲、次のアクションへと歩みを進める原動力になったと思います。感謝です。

私の感想は異なります

私の感想は大きく異なりました。生で「グレの歌」を聴くのは多分4回目でしたが、はじめてヴァルデマールの歌がちゃんと聞こえました。「さすが、ロバート・ディーン・スミスだなあと!」感激しました。春祭の「神々の黄昏」でジークフリートを彼がキャンセルしたことを心から悔やみました。まあ、聴いた席による違いなのかも知れません。

行きたかった・・・

完売と伺っていたので、泣く泣く諦めたのですが、空席があったのですね…。
大好きな作品なので、来月の公演に期待したいと思います。

ブログならびにモーストリー・クラシックへの連載、楽しみにしております。
今後も辛口の批評を楽しみにしています。

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