2019-04

2019・3・13(水)ハーディング指揮マーラー・チェンバー・オーケストラ

     すみだトリフォニーホール  7時

 プログラムは、シューベルトの「交響曲第3番」およびブルックナーの「交響曲第4番《ロマンティック》」だが、今日はそれに先立ち、エルガーの「エニグマ変奏曲」からの「ニムロッド」が置かれていた。

 この「ニムロッド」はもう、あの「3・11」の犠牲者追悼の意を含んだ選曲だということは、すぐ判る。演奏が終ったあと、ハーディングは身動きせぬままに長い静寂をつくっていたが、聴衆もまたそれに応じ、ホールの中はしわぶき一つ起らぬ状態が続いた。
 ハーディングは、ほかならぬあの大震災の時に新日本フィルの指揮者としてこの会場にとどまっていた人だったし、その後も新日本フィルの演奏会では自らも募金箱を抱えてロビーを回ったほどの人である。今日の聴衆の中には、それを覚えている人も多かったであろう。

 「ニムロッド」の演奏の時から、弦が硬い響きだったのが気になった。今日聴いた席の位置は1階席の23列ほぼ中央だが、このあたりで聴くと金管の音がまっすぐ来て、全体が硬質な音に聞こえる傾向があるのは、以前から感じていたことだった。今日の音の印象も、その所為だったかもしれない。
 したがってシューベルトの「第3交響曲」では、リズムの明確さが目立ち、いわゆる旋律的な流麗さの親しみやすさ(例えば第1楽章第2主題)とか、和声的な美しさ(例えば第2楽章中間部)とかいう要素は二の次になっている演奏、というような印象を受けた。だが、シューベルトの場合にはそれでもいいだろう。

 しかし、ブルックナーの交響曲となると、必ずしもそうは行くまい。「4番」は、和声的な重厚さ、響きの壮麗さ、アルプス的な巨大な威容とかの要素よりもむしろ、音と音とのぶつかり合いから生まれる緊迫感とエネルギーに重点を置いたような演奏という感だったが、この「ロマンティック」にそのような演奏が良い結果をもたらすかどうかになると、些か疑問がある。
 特に第2楽章など、味も素っ気もない裸の音が低回しているようで、全部が全部とは言わないまでも、乾いた演奏に聞こえてしまう。「第6番」以前の彼の交響曲の緩徐楽章は、やはりブルックナー特有の癖と雰囲気を重視した演奏でないと、生き難いのではないか。

 ただしこれらの印象は、上階の、特に3階のバルコニー席あたりで聴いたら、また異なったものになるのではないかという気もしないではない。

コメント

高度な音の運動体といった様相でした。若返って現代人になったブルックナー。城門から出てきたのは騎士ではなくて疾走するサッカー選手のよう。こういう行き方も有りかと思います。会場で聞くには興奮するけど普段聞きする音盤ではキツいかな。

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