2019-05

2019・3・5(火)クリスチャン・ツィメルマン ピアノ・リサイタル

        東京オペラシティ コンサートホール  7時

 「日本・ポーランド国交樹立100周年記念事業 ポーランド芸術祭2019 in Japan 参加公演」と付記されているクリスチャン・ツィメルマンのリサイタル。今日は来日ツアーの5日目にあたる。
 プログラムは、ショパンの「4つのマズルカ 作品24」とブラームスの「ソナタ第2番」、後半にショパンの「4つのスケルツォ」。アンコールにブラームスの「4つのバラード 作品10」から3曲。

 素晴らしいプログラムだったが、2階席正面最前列で聴いていると、不思議に音が「遠く」感じられて、聴き慣れたツィメルマンの、あの瑞々しくふくよかな世界が何処にも見当たらず、戸惑った。びわ湖ホールの「ジークフリート」から帰って来た直後で、しかも昨日、今日と、確定申告の資料作りで目も頭もよれよれになっていたのは事実だが、まさかそのせいでもあるまい━━。
 この位置の席ではピアノから遠すぎるのかという気もしたが、以前、だれかのピアノ・リサイタルを聴いた時にはそれほどの違和感はなかったのだから、今日の超満員の客席がこのホールの豊かな残響を全て吸ってしまった影響なのか、あるいは、今日の使用ピアノの・・・・? 
 ともあれ、頭上に「屋根」のない平土間席や3階席、あるいは前方のバルコニー席だったら、もっと異なったアコースティックになっていたのでは、と思われる。

 7年ほど前、ツィメルマンのリサイタルで、シマノフスキの叙情的な陶酔感がブラームスの「第2ソナタ」で劇的に破られた瞬間の衝撃は今でも記憶に生々しい。今日も「マズルカ」のあとにこの曲が始まった時には、その斬り込むような鋭さに、これでいつものツィメルマンに━━と愁眉を開いたのだが、やはりどうも、演奏が不思議に「乾いて」いるのである。

 休憩時間にピアノの調律をしたのかしなかったのかは定かでないが、第2部冒頭の「スケルツォ第1番」になっても、もどかしさが抜け切れぬ。中間部の終り、あの優しい「束の間の安息」を打ち破る威嚇的な一撃があり、音楽はそれでもなお安息の余韻に縋りつこうと空しい努力を続ける個所があるが、そこでの緊迫感と情感とを欠いた━━もしそれらがあったとしても希薄か、あるいは伝わって来ない━━不思議な演奏は、とてもいつものツィメルマンとは思えぬものだった。

 ただし、その演奏が突然変わり始めたのは、そのスケルツォが再現してからあとである。やや乾いた音色と表情なりに、演奏には巨大な雲が沸き立ち、渦巻きながら迫って来るような物凄さが、演奏に漲って来た。そうした魔性的な混沌が、そのイメージを保ったまま堅固な構造体に組み上げられて行くといったような背反的な演奏は、いかにツィメルマンでも滅多に聴かせたことはないのではないかと思うが━━とにかくそのあとは、十全ではなかったものの、彼の演奏に没頭することが出来たのだった。特に「スケルツォ第2番」は、この日の圧巻だったと思う。

コメント

3/2日兵庫芸文で聞きました。4階の右側のバルコニー席で聞きましたが前回のシューベルトの時より音は満足できました。プログラムがまづ良い。ブラームスの2番というめったに聞けない作品を見事に構築しこの曲の真価を知らしめてくれました。
スケルツオはリヒテルを思い起こさせる大演奏であった。不健康さは無くあくまでも真摯なスケルツオ。アンコールはないと思っていたがブラームスのバラード3曲、最後の音が途切れての数秒の沈黙がこの日の演奏の秘密を明かしていた。
個人的にはこの日誘っていた友人が来ないため不思議におもっていたら1週間前に心筋梗塞で亡くなっていたという。彼に聞かせたかった歴史的なコンサートだったのに。

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