2019-05

2019・3・2(土)ワーグナー:「ジークフリート」初日

      滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール  2時

 「びわ湖ホール プロデュースオペラ」のシリーズの一環、毎年3月に1作ずつ上演されている「ニーベルングの指環」ツィクルスの第3部「ジークフリート」。
 沼尻竜典指揮京都市交響楽団が演奏、ミヒャエル・ハンぺが演出を、ヘニング・フォン・ギールケが舞台美術と衣装を、齋藤茂男が照明を受け持っている。

 ダブルキャストの今日の配役は、ジークフリートをクリスティアン・フランツ、ミーメをトルステン・ホフマン、さすらい人(ヴォータン)を青山貴、アルベリヒを町英和、ファフナーを伊藤貴之、エルダを竹本節子、ブリュンヒルデを池田香織、森の小鳥を𠮷川日奈子。なお、「ジークフリートの角笛」のシーンでのホルンのソロは、客演奏者の福川伸陽が吹いていた。

 舞台は、このツィクルス共通の、ト書き通りのストレートな手法である。映像と大道具とを巧みに調和させた写実的な情景がつくり出され、緑の森と洞窟、鍛冶屋の小屋、岩山が現れる。熊(小嶋卓也の扮するヌイグルミ)も、もちろん大蛇も出て来る。

 演技は少々おおらかで鷹揚なところもあるが、アルベリヒ(町英和)などは、かなり細かい演技をしていた
 またジークフリートがミーメの洩らす危険な本音を聞きつつ、同時に森の小鳥の声にも注意を払い続けるという演出上の設定も行われていた(オットー・シェンクの演出ほどには微細ではなかったが)。
 とにかく、ハンペの演出は、当節よくある「謎解き」に気を取られる必要が全くない演出なので、好悪はともかく、その分、音楽に集中できるというものであろう。それが狙いであることを、沼尻芸術監督自身も、いろいろな機会に明言しているのだ。

 歌手陣はみんな安定している。その中でも、青山貴(さすらい人)の澄んだ伸びのある声の威厳あるヴォータン表現と、池田香織(ブリュンヒルデ)の清純で輝かしい声による歌唱は傑出していて、魅了される。
 クリスティアン・フランツ(ジークフリート)の歌いぶりは、やや自由に過ぎるところもあるし、鍛冶のリズムはもっと正確に叩いて貰いたいところだが、あの強靱なパワーにあふれた声はやはり立派なものというほかはない。
 トルステン・ホフマンは、かなりパワフルな表現で、ミーメという小人がアルベリヒより強そうな男に見えてしまい、一般に演じられるようなヒステリックで哀れな男というイメージに乏しかったせいか、歌唱そのものは優れていたものの、あまり観客の同情(?)を集めなかったようである。

 沼尻竜典の指揮は、テンポと音量を抑制気味にして、「ジークフリート」の音楽の中の叙情性を浮き彫りにすることを優先したのかとも考えられるが、見方を変えれば、この音楽の壮大さを些か犠牲にした感もないではなかった。
 テンポを遅く採った(少なくともそのように聞こえた)ことは、滔々たる流れといったものに乏しい第1幕と第2幕の音楽においては、あまり良い結果を生まなかったように思われる。といって、音楽の性格がガラリ変わった第3幕においても、その本来の雄渾壮大な響きが存分に発揮された個所は、意外に少なかったのではないか? 
 京都市響も金管群の聴かせどころに不調が頻発して、どうもあまりノリがいいとも思えなかったのだが、ただ第3幕では、何個所かに、このオケらしい厚みと輝かしさが響き渡っていたのも確かである。そういえば、昨年の「ヴァルキューレ」でも初日の演奏はノリが悪かったのを思い出したが━━明日の2日目の上演では、すべて解決されるだろう。

 ともあれ、力作である。沼尻芸術監督以下、びわ湖ホールの意欲的な姿勢は讃えられてよい。ロビーで私に声をかけて来た一人の観客の方の、「関西でもこういうものが観られるようになったのは、本当に幸せです」という感想に勝る賛辞があろうか?

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