2021-06

2018・12・17(月)ダニエル・ハーディング指揮パリ管弦楽団

     サントリーホール  7時

 音楽監督ハーディングが、札幌の中島公園で雪に滑り、右足(足首?)を骨折。車椅子で袖と指揮台とを往復、付添の助けを借りて指揮台に上り、椅子に座って指揮をする。それは痛々しい光景ではあるが、とにもかくにも、無事で指揮が出来ることだけでも祝着と言わねばならぬ。

 なんせ、この秋に来日した4つの大オーケストラのシェフ指揮者のうち、バイエルン放送響のマリス・ヤンソンスと、サンクトペテルブルク・フィルのユーリ・テミルカーノフが降板、前者の助っ人として駆けつけてくれたズービン・メータも車椅子での指揮、それに今回のハーディングが━━という具合なのだから、これはちょっとした珍事であったろう。唯一無傷だったのは、ミュンヘン・フィルと来日した、常にタフな超人(?)ゲルギエフだけであり━━。

 それはともかく、ハーディングとパリ管弦楽団が今日演奏したのは、ベルリオーズの「トロイ人たち」からの「王と狩の嵐」、ベートーヴェンの「ヴァイオリン協奏曲」(ソリストはイザベル・ファウスト)及び「交響曲第6番《田園》」。

 パリ管、いい音だ。前回の来日の際にも感じたことだが、かつてバレンボイム時代やビシュコフ時代には抑えつけられていた感のあるこのオーケストラ特有のブリリアントな音色と洒落た味は、このハーディングの時代になって漸く蘇ったような気がする。
 ハーディングはもちろんフランス人ではないけれども、パリ管の持つ個性を自由に発揮させ、自分の考えはただ作品解釈の上でのみ生かそうと試みていることで、いい結果を生んでいるように感じられる。

 冒頭のベルリオーズの作品では、その「パリ管の音」が随所に聴かれ、振るいつきたくなるような魅力を感じさせる。ただ、演奏としては、嵐の部分をもう少し派手に爆発させるかと思っていたのだが、予想外に抑制されたものに終始したか。

 ベートーヴェンの協奏曲では、ティンパニの歯切れのいいアタックのリズムを基本とした弾力に富む響きが、実にいい。
 そして、ここでのイザベル・ファウストのソロがまた何とも個性的だ。第1楽章で初めてソロが入って来るあたりは、オケの力感をはぐらかすような抑制した音量と、極めて神経質な表情とで、否応なしに聴衆の注意力を自分に向けてしまう。全体にこの調子である。旋律的な美しさよりも、それらの音の一つ一つに凄まじいほどの集中性をこめて連続させて行く、その緊張感がまた見事というほかはない。しかも、アンコールとして弾いたクルタークの「ジョン・ケージへのオマージュ」の一節が最弱音の連続で、まるでチューニングでもしているような曲と演奏だったのも、また彼女らしい。

 後半は「田園交響曲」。今まで鳴りを潜めていたハーディング節がここでやっと姿を現わした感である。これ見よがしの細工はしていない演奏ではあったが、細部には綿密なデュナミークの変化を満載、凝った造りを施していた。
 弦12型の演奏ながら、第1楽章展開部では第1主題のモティーフが無限に反復される個所での4本のコントラバスのアタックが実に強烈で、音楽全体が鋭い様相を帯びる。
 第2楽章ではささやくような弱音の演奏が美しかったが、特に【E】の個所━━エコーのように対話を交わすクラリネットとファゴットを極度の最弱音で響かせた手法は、昔、朝比奈隆が新日本フィル相手に試みた1989年の見事な演奏を思い出させたほどであった。

 ただし第5楽章では、普通の演奏に聴かれるような解放感の代わりに、非常に細かい表情に富んだ演奏で緊張感を生み出していた。先ほどイザベル・ファウストによる集中性の厳しい演奏に浸ったあとに、さらに長いシンフォニーの、それもフィナーレでこういう演奏を聴くと、何か疲労感を覚えてしまったのが正直なところである。

 オーケストラのアンコールは、意外にも(?)ベートーヴェンの「コリオラン」序曲。これはストレートな演奏だったが・・・・。

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