2021-06

2018・12・15(土)ジョナサン・ノット指揮東京交響楽団

     サントリーホール  6時

 前半にエドガー・ヴァレーズの作品2曲が置かれ、無伴奏フルートのソロによる「密度21.5」(ソロは同団首席奏者の甲藤さち)と、超大編成の「アメリカ」とが切れ目なしに演奏された。

 これは、オケの定期としてはすこぶる珍しいプログラミングだ。
 ノットと東京響は、3年前(2015年11月23日)にも、リゲティの「ポエム・サンフォニック」という題名の100台のメトロノームのみによる「演奏の」作品を冒頭に置き、その最後の一つが停止したあとの死の如き沈黙の中にバッハの「甘き死よ来たれ」の演奏を始めるというプログラムを聴かせ、われわれに大きな衝撃を与えてくれたことがあるが、この日のヴァレーズ・プロも、ある意味でそれに共通するアイディアといえるだろう。

 超大編成のオーケストラが並んでいるステージが暗くなり、スポット(ピンではない)を浴びたフルート奏者がモノローグ風な演奏を展開、不思議な一種の神秘的な雰囲気が生み出されたのち、明るくなったステージで「アメリカ」(1927年改訂版)の大音響が爆発するという、極めてドラマティックな流れが形成される。この企画者は、なかなかの芝居巧者である。

 「アメリカ」は、そうたびたびナマで聴ける曲ではないが、私はこの10年ほどの間に、2008年7月14日にゲルト・アルブレヒトが読響を指揮した演奏会と、2015年4月17日にメッツマッハーが新日本フィルを指揮した演奏会で聴いたことがある。
 今日のノットと東京響の演奏は、それらに勝るとも劣らぬ強大な音響を轟かせ、悪魔的なサイレンの怒号とともに私たちを圧倒するものだった。ただ、その大音響による快感的迫力を除けば、ほかに何があるか・・・・ということになると、ちょっと微妙な問題になるが。

 第2部は、R・シュトラウスの「英雄の生涯」。これがまた驚異的なほどユニークな演奏だった。
 オーケストラの音色全体にヴェールのかかったような翳りがあり━━変な言い方だが、特定の高い周波数帯域をカットして響きを丸くしたような趣の━━しかし美しい艶のある滑らかなトーンがあふれていた、とでも言うか。
 東京響はかつてスダーン指揮のシューベルト交響曲ツィクルスの際に、これに似た音を出したことがあるが、今回はいっそう徹底して見事なものだったのではないか。
 その上、例えば第1部の「英雄」の部分全体を、驚くほど息の長いフレーズ感で構築し、あたかも一息で全てを物語るような、異様なほど「粘着質的な英雄像」といったものを描くような音楽に仕立てるなど、意表を衝いた試みが随所に織り込まれていたのである。

 こういう新しい発見を常にもたらしてくれるジョナサン・ノットの指揮なのだから、東京響との演奏は聞き逃せない。トランペットが聴かせどころで一度ならず音を外したのだけが玉に瑕、という演奏であった。コンサートマスターは水谷晃。

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