2020-07

2018・12・12(水)パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィル

      東京オペラシティ コンサートホール  7時

 先週土曜日の横浜公演に続いて聴く。今日はモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」序曲、ヒラリー・ハーンをソリストにしたバッハの「ヴァイオリン協奏曲」の「第1番」と「第2番」、後半はシューベルトの交響曲「ザ・グレイト」。
 指揮者とオケのシャープな感性をいかんなく発揮した、見事な演奏であった。

 「ドン・ジョヴァンニ」序曲での冒頭は、切り込むような鋭い一撃で開始。もしオペラ上演のピットで、この曲がこういう劇的な演奏で開始されたとしたら、きっと興奮に引き込まれることだろう。遺憾ながら、歌劇場ではなかなかそういう演奏に巡り合えないのだ。
 なお、この曲で今日使用されたエンディングは、「ベーレンライターの演奏会用版」であるとのこと。いかにも付け足し、という感じのものだが、この終結版に関してはいろいろ複雑な問題があることは周知の通り。

 バッハの協奏曲2曲は、今日はこれを目当てに聴きに来た、という人も少なくなかったのではないか。さすがヒラリー・ハーン、一分の隙も無い集中性豊かな構築の裡に、瑞々しい表情で弾いてくれた。先日もムターによる対照的な、流麗この上ない「2番」を聴いたばかりで、あれも一家言ある演奏には違いないが、私の好みは圧倒的にこちらヒラリー・ハーンのようなスタイルにある。
 なお彼女はソロ・アンコールとしてバッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番」から「ブーレ」と「ルール」を弾いた。「2曲も弾いた」わけだが、こういう演奏であれば2曲でも3曲でもいいだろう、と勝手に決め込む。

 モーツァルトの序曲からバッハの協奏曲へと続く音楽の流れを、パーヴォとドイツ・カンマーが実に見事に形づくっていたのには感心した。これは、プログラミングの巧さの好例であろう。

 「ザ・グレイト」は、横浜での印象と同じ。ただ、アコースティックがみなとみらいホールとは全く異なるので、クレッシェンドなどにおける響きがいっそうリアルに聞こえ、演奏に鋭さと力感がさらに増した印象になった。第4楽章提示部を除いて反復指定個所は全て楽譜通りに守った演奏だったが、テンポが速いので演奏時間はさほど伸びていない。

 アンコールでは、パーヴォとオーケストラは、またまたシベリウスの「悲しきワルツ」を演奏した。これは先週の横浜でも演奏していた曲である。シベリウスが悪いというのではない(私は大のシベリウス愛好者だ)が、曲の性格からして、メイン・プログラムにはどう見ても合わない。こちらの方は、いわばプログラムの流れの悪さの好例であろう。
 ただし、演奏としてはかなり「尖った」ワルツになっていて、ユニークで興味深いものであったことは確かである。

コメント

名古屋で聴きました。とてもアクの強い好き嫌いの分かれそうな内容。切れば血が出る様な緊迫感は見事に尽きますがこれで弱音の奏功部分に深みが加われば最高でしょう。これからのヤルビィさんに目が離せません。ハーンさんのバッハ(アンコール)は緻密でスキがなく年々進化してますね。いつも感心させられます。

兵庫で拝聴しました

兵庫でのプログラムは、モーツァルトの[ドン.ジョヴァンニ]と、ヴァイオリン協奏曲、シューベルトの[ザ.グレイト]でした。ソリストのヒラリー.ハーンさんの演奏は、初めて拝聴しましたが、表現力は圧巻でした。このオケも初めて拝聴しました。とても力強く活き活きとした演奏は、素晴らしかったです。オケの皆様の表情が爽やかですね。こちらまで心が洗われるような素晴らしいひとときでした。終演後、バスをお見送りしました。けん玉で遊ぶオケの方々を拝見して、余計にこのオケが好きになりました。

 上野の公演を拝聴しました。前にも何回か聴いていて、毎回、興味深く、表現内容も面白いとは思うのですが、テンポの速さ故からか、いわゆる「ミス」や「合わないところ」は多い演奏だったと思います。また、ハーンさんの演奏も何回か実演やメディアで演奏を聴いていますし、当日の演奏も安定的で良かったと思います。ただ、同じくらいの実力でいろいろ表現できるソリストは日本人でも結構いるように思うので、「圧巻」は大げさのように思います。(+一連のプログラム終了後はあまりの拍手の音圧の凄まじさに、早めにお暇しました。)
 それより、疑問なのは、なぜ、このオケとP.ヤルヴィ氏の演奏スタイルはいつもこの演奏スタイルなのか、ということです。
 当日のプログラムに、このオケについて、ヤルヴィ氏がインタビューへの回答で、昨今、西洋の名画の数々が洗浄修復され、作画当時の色合いが甦ったことと似ている…と、引き合いに出していたという記事がありました。
 しかし、名画の洗浄については、元が汚かったのでなく、時代の経過とともに汚くなっていたものをきれいにした訳で、音楽の場合は、時代を経るに連れ、元の時代の音楽よりも汚くなったのでなく、表現の技術も内容も高度化し、楽器も表現の幅が広がり、聴衆の音楽の捉え方、考え方もおそらく進化しているわけです。比較の対象として、同じにできないのだと思います。(楽器の問題は今回は一先ずはずします。)
 ドイツ・カンマーの演奏は、端的に言えば、素直に心に響く「直観的な感動」が大きいのだと思います。それはそれで価値ある感動ですが、いわゆる「芸術的な、細かく内容を理解してゆく感動」とは少し別のステージの感動なのだと思います。
 現にそうした「直観的な感動」を生みだす音楽ジャンルは現在はいくつもあり、東西の他のオケもそうしたタイプの音楽も時折やっていて、楽しく、音楽的な意義も高くあるわけですし、おそらく、近代の音楽の発展期でも、そうした需要、側面は強かったでしょう。
 しかし、ドイツ・カンマーも、どういう演奏をするかは、オケや指揮者の自由なのでしょうが、西洋でも東洋でも、また他のジャンルでも「芸術的な、細かく内容を理解してゆく感動」を多くの先人が育て、継承してきたわけですから、そろそろ他のオケが普通に正面から取り組んでいる、通常の演奏スタイルでも演奏会をおこなって、オケの実力、表現力をわかりやすく、世に問うて欲しいように思います。
 また、今のドイツ・カンマーのスタイルの演奏については、おそらく他のオケもできないわけではないでしょう。(休憩中、ロビーで70代くらいの男性の方と話す機会があったのですが、速い演奏をするから、ウィーン・フィルやベルリン・フィルより上手い、と信じていらっしゃるようでした。)
 ヤルヴィ氏にあっては、できれば、N響やその他の客演オケにあっても、ドイツ・カンマーのようなスタイルの演奏を古典から、また、現代まで手広く工夫してやってみていただきたい、と思う次第です。
(ヤルヴィ氏の演奏はいろいろ聴いかせていただいていますが、私個人としては、もう数十年前でしょうか、初めて(?)日本のオケ(N響でない)に客演した時の、慎重に1つ1つのフレーズを丁寧に表現していた演奏が一番印象に残っています。)

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