2021-06

2018・12・7(金)沼尻竜典指揮日本フィルハーモニー交響楽団

     サントリーホール  7時

 最初にベルクの「ヴォツェック」からの「3つの断章」が、エディット・ハラーのソプラノを交えて演奏され、次いでマーラーの「交響曲第1番《巨人》」が演奏された。コンサートマスターは客員の白井圭。

 この11月下旬から12月中旬にかけて、不思議にこの「巨人」がかち合う。もともとふだんから演奏される機会の多い曲だが、今回もメータとバイエルン放送響が取り上げ、ゲルギエフとミュンヘン・フィルも演奏、更にこのあとにもハーディングとパリ管のが控えているというわけである。

 そうした外国のオケの演奏と比べると、今日の「巨人」は、やはり日本のオケの特色がよく出ている演奏だなと、つくづく思う。すっきりした、アクの抜けた、あまり骨太ではないサウンド。そして少し淡白な表情。アンサンブル重視の演奏。
 だがもちろん、これは別に悪いことではない。比較すればそういう印象になるだけのことである。同じ劇的な昂揚、同じ熱狂の表現にしても、沼尻と日本フィルのそれは、やはり西洋の指揮者やオケとは異なるタイプのものなのであって、そこにお国柄の演奏というものの面白さが生れるのであろう。

 しかし今夜、沼尻と日本フィルの音の美しさが最も見事に発揮されたのは、むしろ「ヴォツェック」からの「3つの断章」においてだったであろう。この作品が、かくも美しく、繊細なオーケストレーションを持つものだったか、透明で清澄な音楽なのだったのかと、今さらのように驚かされた。アルバン・ベルクの音楽の思わぬ一面を引き出してくれたということで、これは実に貴重な体験だった。
 びわ湖ホールやリューベック歌劇場のシェフとしてキャリアを積んで来た沼尻竜典は、今やこういう新鮮なオペラの演奏を聴かせてくれているのである。

 またこの曲では、ソプラノのエディト・ハラーが、マリー役を極めて清純なキャラクターのイメージで再現してくれた(少なくともそう聞こえた)。歌っていない時にも、オーケストラの演奏に合わせて微細な顔の表情の演技を付加し、その音楽の劇的な意味を描き出そうとしていたのも素晴らしかった。
    (別稿)モーストリー・クラシック3月号 公演Reviews

コメント

お疲れ様です。
ベルクは、透徹した表現が概ね実現されていて、良かったと思います。エディト・ハラーも好演。マーラーは、私には、耳ダコの曲を耳ダコにやったようにしか聞こえませんでしたけど。それもあまり綺麗な音ではなく。定期演奏会って研究発表の場ですよね(今は違うのかな)。こういう曲では、おっこれは、という場面が少しは欲しい。

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