2021-06

2018・11・20(火)ウェルザー=メスト指揮ウィーン・フィル

     サントリーホール  7時

 モーツァルトの「魔笛」序曲、同「ピアノ協奏曲第24番」(ソリストはラン・ラン)、ブラームスの「交響曲第2番」というプログラム。

 先週の川崎での演奏会よりは復調して安定した演奏になっていたが、しかし、ブラームスの「2番」でのヴァイオリン群の音の響きの鋭さといい、その第1楽章終結近くのホルン・ソロの表情の硬さといい、今年来たウィーン・フィルは、何となくいつもと違う。かつての━━いや、今でも良い時のウィーン・フィルは、このオケならではの馥郁たる香りを演奏のどこかに漂わせているものだが・・・・。

 今回の響きは、当然ウェルザー=メストによって引き出されていたものだろう。それでもかつてのウィーン・フィルなら、指揮者が誰であろうと、それに合わせると見せながらも、常に己の良き個性を頑固に守り抜いていたものだった(ゲルギエフとの丁々発止の勝負はその一つの例だった)。今のこのオケは、もう、指揮者に忠実になってしまったのか。
 それでも、川崎でのブラームスの「二重協奏曲」と同様、ガリガリ弾かずに済むモーツァルトのピアノ協奏曲では、ウィーン・フィルのしっとりした味が少しは蘇る。そしてアンコールでの、J・シュトラウスⅡの「南国のばら」と、E・シュトラウスの「テープは切られた」では、これは誰が何と言おうとおれたちの音楽、と言わんばかりの姿勢に戻っていたのだった。

 ラン・ランのモーツァルトがナマで聴けたのは幸いであった。彼はこのところ、ピアニッシモによる表現に凝っていると見える。ソロ・アンコールで弾いたシューマンの「ダヴィッド同盟舞曲集」からの一節にも、その姿勢のようなものが聴かれていた。

コメント

大阪で拝聴しました

大阪で同プログラムを拝聴しました。私には、エンジンかかってきたと感じましたが、ウエルザー=メストさんの指揮は、控えめですね。それでも、素晴らしい演奏だったと思います。ラン.ランさんの情緒豊かなピアノも良かったです。小さな女の子が客席から、ブーケを渡すと、彼はハンカチをプレゼントなさいました。ホントは、ダメなのですが、嬉しそうな表情にウィーンフィルの方々も、ニッコリ。ほっこりしたひとときでした。

私は今回の来日は聴いていないのですが、最近のウィーンフィルからは、以前の魅力が失われてしまったように思います。私が直近で聴いたのは、フィルハーモニーは2017年11月定期(バレンボイム指揮マーラー7番リスト1番(アルゲリッチ))、歌劇場は同月の蝶々夫人、サロメ、ナクソス島のアリアドネなのですが、どの演奏も各奏者はうまい!と思うものの、以前のウィーンフィルの魅力であった、オケ全体の一体感や、艶やかで退廃的な色気は失われてしまったように思います。特に弦楽器の変化が激しいでしょうか。

私自身は決して過去に固執しているわけではなく、たとえばベルリンフィルでしたら「カラヤン時代の魅力は失われてしまったが、今は今でとても素晴らしい」と思えるのですが、今のウィーンフィルは純粋に低迷期だと思いっています。ウィーンフィルはここ10年20年で、伝統に固執するあまり新機軸を打ち出せず、未だに新しい方向性を模索しているように思われます。ビジネスと一緒で「変わらずにいるには変わり続けなくてはいけない」ということなのでしょうか。

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