2021-06

2018・10・29(月)内田光子ピアノ・リサイタル~シューベルト

      サントリーホール  7時

 2回に分けてのシューベルトのソナタ・ツィクルスの第1夜。今日は「第7番変ホ長調D568」、「第14番イ短調D784」、「第20番イ長調D959」。

 かつては、彼女のシューベルトには、求道者のように自らを突き詰めた、緊張感の権化のような演奏が聴かれたものだった。それは素晴らしいけれども、正直なところ、聴いているとヘトヘトになってしまうこともあったくらいである。
 だが今、彼女の演奏は、それを超えた円熟の境地というのだろうか━━緊迫度の強い演奏には変わりないが、かつてのようなピリピリした雰囲気の代わりに、聴き手の感性を丸ごと、あたたかく包み込んでしまい、それを強い力で捉えたままどこまでも離さない、というようなものになって来たように思う。

 1曲目の「D568」が開始された瞬間の快い陶酔感は、筆舌に尽くし難い。芯の強い音で、毅然たる構築性を感じさせる演奏でありながら、音楽は深々とした情感を湛えて鳴り切っている。そして3曲がこのように明快な構成と生気溢れる躍動感を以って演奏されて行くのを聴くと、もともと好きなシューベルトのソナタの数々が、いっそう恍惚的な魅惑を覚えさせるものになって行く。

 もちろん、内田光子特有の極度に沈潜した演奏も随所に聴かれるのであって、緩徐楽章では言うに及ばず、「D784」冒頭のような、「アレグロ・ジュスト」でありながらアダージョにも等しい遅いテンポを採った個所にさえ、深い物思いに沈むような表情が現われる。
 そうした演奏には、私は必ずしも率直にはついて行けぬものを感じてしまうことがある。だがそれらもすべて強靭な集中性につらぬかれているため、凡庸な演奏で(と言っては失礼だが)シューベルトを聴く時のような「居眠り」などに陥る余裕(?)など全くなく、ただひたすら彼女の音楽に耳を澄ませてしまうことになるのである。

 それにしてもこの3曲を、それぞれ異なった色合いで性格づける彼女の演奏の見事さには、毎度のことながら、舌を巻くほかはない。
 古典的な佇まいをも感じさせる「D568」、激烈なデュナミークの対比に彩られた「D784」、滔々たる壮大な流れを持った「D959」。3曲目の終楽章が終った時には、何か不思議な、言いようもない大きな到達点に導かれたような想いになったのだった。

 アンコールには、モーツァルトの「K330」のソナタの、第2楽章が演奏された。

コメント

兵庫芸文のシューベルト

11/2日20年ぶりに彼女の演奏聞きました。曲目は4番.15番.21番で東条先生の見事な文章に付け加えることはないですが。まず練られたプログラミングに。1曲目は谷間の百合のように、2曲目はごつごつした岩山、最後は霊山のごとく。

21番,50年前のLPでソフロニツキーで聴いたころはほとんど知られなかったのだ。それがMahlerなみに頻繁に登場している。息を殺したように始まる冒頭、ふわーっとした流れるような指遣い。2曲目の後にこの曲を聞くと全楽章が死から目覚めた歓喜のように聞こえてくる。

アンコールはシエーンベルグ3つの小品からの2分に満たない曲。これがしゃれていてどっと笑いが。カーテンコールは梅芸のミュージカル並みの盛り上がりでした。15番の晦渋な曲が中間に入っていてこの曲が大黒柱になっていたのだな。緑のガウンがふさわしかった。

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