2020-04

2018・9.28(金)シルヴァン・カンブルラン指揮読売日本交響楽団

     サントリーホール  7時

 ペンデレツキの「広島の犠牲者に捧げる哀歌」、シマノフスキの「ヴァイオリン協奏曲第1番」(ソリストは諏訪内晶子)、ゲオルク・フリードリヒ・ハースの「静物」、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」という、ちょっと渋いが意欲的なプログラム。コンサートマスターは長原幸太。
 こういうプログラムでも客の入りがいいというのは、読響への人気か、来春に常任指揮者のポストを去るカンブルランを惜しむファンの心情ゆえか。

 「広島━━」は、ナマの演奏会では久しぶりに聴く。明晰極まる弦の響きで、殊更気負いのない表情だが、シャープさを失わぬ演奏がいい。この題名が後から付加されたものであることを承知していてもなお、「ヒロシマ」という名の音楽に特別な感慨と、安らぐことのない感情を呼び起こされてしまうのは、日本人としては当然のことであろう。

 シマノフスキの協奏曲では、オーケストラの音響的なスケール感と風格が際立ち、読響もいい音を出すものだと感心させられる。諏訪内晶子がこれに一歩も退かずに鮮やかな美音で対抗、その瑞々しさとスケールの大きな演奏はさすがだったが、ただオーケストラの咆哮にあまりに過剰なところがあり、しばしばソロを覆ってしまうことが多かったのが彼女には気の毒だった。
 なお彼女はアンコールにイザイの「無伴奏ソナタ第2番」の第1楽章を弾いたが、これが実に艶やかな演奏で、聴衆の拍手もこちらの方が大きかったほどである。

 ゲオルク・フリードリヒ・ハース(1953~)の「静物(Natures Mortes)」は、面白い。
 題名に似合わず「動的」な音楽で、規則正しいリズム━━喩えて言うならSL(蒸気機関車)が驀進して行くようなイメージのリズムが執拗に反復され、しかもそれが弦、木管、金管、打楽器などがそれぞれ形づくる分厚い層の響きで、音の高さも変えつつ交互に、一つの層が猛烈にクレッシェンドしディミニュエンドするその陰から入れ替わりに次の層が現われては弱まり━━といった動きが繰り返されるさまは、すこぶる凄まじい。
 まあ、敢えて言えばその延々たる反復が次第にくどく感じられて来たのは事実だったが、しかし一種のスペクタクルな雰囲気があって、愉しめたものであった。最後はこのリズムが切れ切れになって終って行く。「静物」とは、随分皮肉な題名である。

 この不気味な蠕動が、次の「ラ・ヴァルス」冒頭の、蠢く低音からクレッシェンドして行く導入部との間に、何かしら共通したものを感じさせたのは、プログラミングの妙というべきものではなかったろうか。
 カンブルランと読響が響かせた今日の「ラ・ヴァルス」は、猛烈に巨大で激烈で豪壮なものだった。フランスの指揮者カンブルランは、これまでにもラヴェルの作品をいくつか読響と聴かせてくれたことがあったが、今日のラヴェルは、それらの洒落たイメージとは全く異なっていた。つまりそれは、今日の恐るべきプログラムの総仕上げとして位置づけられた「ラ・ヴァルス」だったのである。やはりカンブルランという指揮者、ただものではない。

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