2020-04

2018・9・23(日)ユベール・スダーン指揮東京交響楽団

     ミューザ川崎シンフォニーホール  2時

 久しぶりに堪能したスダーン節。
 これは、東京交響楽団(コンサートマスターはグレブ・ニキティン)からも久しぶりに聴く音だ。

 前半の2曲、ハイドンの「交響曲第100番《軍隊》」とモーツァルトの「ヴァイオリン協奏曲第4番」(ソリストは堀米ゆず子)とにおける、がっしりと引き締まった、揺るぎのない造型を備えた音楽は、いかにもスダーンらしい、厳しい強面の表情を感じさせた。が、それが最高度に発揮されたのは、やはり第2部でのベートーヴェンの「田園交響曲」においてである。

 「田園」の楽譜は、伝統的なブライトコップフ版を使用しているようだが、そうした版の問題などは意識させぬようなユニークな音づくりで、隅から隅まで一音たりともゆるがせにしない演奏は息づまるほどだ。そこでは、スダーンと東京響がかつてあのシューベルトの交響曲ツィクルスで創り出したような、独特の楽器のバランスが再現されていた。
 和声的な響きを重視した一種のくぐもった音色の構築の中に、各声部が要所で明晰に浮き出し、きらりと光っては消えて行く精緻さ。しかもそれらが決して、強制されたような無理な造りを感じさせない。それどころか、大きなリタルダンド個所や矯めの個所においてさえ、楽々と息づいているように聞こえたのである。

 こうした凝った音響的構築は、スダーンと東京響の蜜月時代でさえ、必ずしも常に実現できていたわけではなく、また実現できていた時でも曲の後半までは保てない━━などということもあったほどだが、それが今日は、第1楽章の冒頭の主題モティーフから、全曲最後の一音まで、完璧に保たれていたのだ。これはやはり、スダーン以降の東京響が備えるに至った高い能力を示すものであろう(いつもこうとは限らないのが残念だが)。

 こういう演奏で聴くこの曲は、もはや所謂「田園交響曲」ではない。故・朝比奈氏が喝破したように、「そもそも《田園》なんて名前がいけない。そんなのんびりしたイメージの曲じゃない」という指摘そのまま、恐るべき交響曲なのである。今日のスダーンと東京響の演奏は、まさにそれだった。

コメント

昼寝を決め込むつもりが、、、

久しぶりに堀米さんのバイオリンを期待して出かけました。腕と楽器とキャリアが最高ですから当然期待以上、日本でこれだけ瑞々しいモーッワルトを聴かせられるのは小山さんと堀米さんのみ?オケも最初のハイドンから楽章毎に音色に変化を付け、最後まで飽きませんでした。昼寝半分と決め込んで出かけましたが嬉しい誤算でした。それにしても木管の女性陣の実力には感激しました。




東響の「田園」

スダーンの田園、興味深く拝読しました。私は10月に下野さんの指揮で、東京交響楽団の「田園」を聴きます。下野さんではどういう演奏になるでしょう。短期間に同じ楽団で、しかし違う指揮者で聴いたら、音楽的な解釈の違いがよくわかりそうですね。

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