2020-04

2007・6・6(水)新国立劇場 R・シュトラウス:「ばらの騎士」

   新国立劇場  5時

 今年の「バラ戦争」初弾は新国立劇場、ノヴォラツスキー芸術監督最後の新プロダクションで放たれた。

 しかし、オーケストラが相も変らずお粗末。冒頭のホルンを中心とする主題の立ち上がりから唖然とさせられるほどのか細い音、第1幕は最後まで乾いた無表情な、全く色彩というもののない演奏が続いた。第3幕の最後の三重唱あたりはある程度改善されていたが、近年好調の練達の指揮者ペーター・シュナイダーを招いておきながら、なおこんな状態の東京フィルなのである。救い様が無い。

 演出は、いかにもジョナサン・ミラーらしく、派手さはないもののかっちりまとまった舞台だ。演技の細かさは主役のみならず脇役・端役にいたるまで徹底しており、それだけでもドラマとしての面白さが出て、全体が引き締まる。
 おなじみ原純も髪結師の役で登場しており、テノール歌手の声をうるさがりながら髪を結うなど、例のごとくマメな動きを見せていた。そのあとにオックスもテノールに苛々して書類を床に叩きつけるという演技を見せるだけに、意味のある動きといえよう。

 そのオックス男爵(ペーター・ローゼ、さすがに役者だった)が過剰に野卑に描かれておらず、単に山から出てきたような素朴な農夫といった具合に演じられていたのは好ましい。 マルシャリン(カミッラ・ニールント、長身で容姿も好い。この秋のサロメが楽しみだ)はある面でかなり激しい気性をもった女として描かれ、第1幕ベッドシーンでの美しさとは対照的に、第3幕でオクタヴィアンを思い切る前後では、愛した男を断念する悲しみどころか、あとで復讐でもしかねないような目付きをしていた。恐ろしい。

 そのオクタヴィアン(エレナ・ツィトコーワ)は、水も滴る美少年というわけにも行かぬ風貌と容姿(なんか老人の男みたいだ)のメイクなので、洒落た雰囲気に乏しくなる。ゾフィー(オフェリア・サラ)のメイクにいたっては全くの老け顔で、可憐な少女というイメージには程遠い。だが歌唱の面では、みんなしっかりしている。第2幕最後でのローゼのバスは見事に響いていた。

 美術と衣装はイザベラ・バイウォーター。脇廊下も活用しての、ややくすんだ色を基調とした舞台装置。豪華な雰囲気ではなく、むしろ地味で、しかも不思議に白けた寒々しいものを感じさせるのだが、これがジョナサン・ミラーのいう時代の移ろい、暗雲立ち篭める時代の雰囲気なのだろうか。
 ただし第1幕最初など、オーケストラの惨さも手伝って、何とも乗らない白々しさが舞台を蔽っていたが、これはもちろん、演出のねらいとは別の次元の問題である。
 なお、第1幕最後で窓に打ち付ける雨は非常に効果的で、タバコを手に窓外を見やるマルシャリンの孤独な姿と相俟って、人生の変転を描くような印象的な場面を作り出していた。

 それにしても、ノヴォラツスキー芸術監督には、些かの同情を禁じ得ない。音楽的にも最後を飾るために、ベテランのペーター・シュナイダーを招いたのであろう。にもかかわらず、オーケストラの非力がそれをフイにしてしまった。新国立劇場最大の弱みはオーケストラにある。それは10年経っても、ついに全く改善されないのである。

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