2020-04

2018・9・9(日)飯森範親指揮東京響 ストラヴィンスキーの3大バレエ

     ミューザ川崎シンフォニーホール  2時

 ストラヴィンスキーの「火の鳥」、「ペトルーシュカ」、「春の祭典」の3曲を一つのコンサートで演奏。
 「火の鳥」はもちろん組曲版だが(長い全曲版だったら大変だ)、それにしてもこの3曲を一緒にというのは、そうたびたび演奏されるプログラムではない。

 日本では、1953年秋にジャン・マルティノンが日比谷公会堂でN響を指揮して演奏したのが「3曲一緒」のハシリだと謂われるが、当時の楽団の状況の中で、よくまあそんなことが出来たものだと驚く。私は当時、その「春の祭典」の一部を自宅のラジオで偶然聞き、曲の悪魔的な雰囲気にぞっとするような恐怖感を覚えた記憶があるのだが、もちろん未だ何も解らない頃だから、本当はどんな演奏だったのか知るすべもない。
 とにかく、それから65年の間にもこのプログラムを演奏した指揮者は何人かいるはずだが、私はどれもナマで聴いたことはない。

 さて、今日の演奏。
 「火の鳥」組曲は、「1945年版」が使用された。「1919年版」と違い、曲数も多いので比較的長い。曲の最後に最強奏でだめ押しされる主題のモティーフが一つ一つ音を切った形で演奏されるように改訂されているのが気に入らぬ、という人は結構多いようだが、実は、私もその一人なのである。

 一方「ペトルーシュカ」では、1947年版が使用されたが、これはオリジナル版の最後の「ペトルーシュカとムーア人の争いと死」をカットして突然最強奏の和音で閉じる、という形に改訂された版だ。なにしろ、いきなり終わるなよ、と言いたくなるようなエンディングなので、私はこれを聞くとどうも拍子抜けしてしまうのである。大方の人たちもそう感じるのではないかしら?
 ストラヴィンスキーはこの版で、原典版と同じ暗いピッツィカートで終る楽譜をも残しているので、たいていの指揮者が━━たとえ1947年版を使用した時でさえ━━そちらを採用するのもむべなるかな、と言えよう。ただし今日はその「いきなり版」が使われたわけだが・・・・。

 だからといって、演奏そのものに異論があったというわけではない。飯森と東京響(コンサートマスターはグレブ・ニキティン)は、いずれも力感たっぷりの演奏を聴かせてくれた。
 「火の鳥」では少し表情も硬い感があったが、「ペトルーシュカ」ではオーケストラが力強く躍動した。ピアノ・ソロを受けもった高橋優介(2012年の東京音楽コンクール優勝)も好演である。

 そして最後の「春の祭典」では、飯森も東京響も、これはまさに自家薬籠中の物という感で、いっそう豪壮雄大な演奏を披露してくれた。
 強いて言えば、飯森のゲネラル・パウゼは少々長過ぎるのではないかとか、「祖先の儀式」におけるアルト・フルートをもう少し強く吹かせないと音楽が薄められるな、などという気もしたのだが、彼が「大地の踊り」の内声部で何度も繰り返されるクレッシェンドを強調し、不気味な効果を上げた発想には舌を巻いたので、これで充分と満足。
 終演は4時15分頃。

コメント

1970年大阪万国博、国際フェスでカラヤン、セルの向こうを張って岩城/N響にてストラビンスキー3大バレー演奏され聴きに行きました。火の鳥はどちらの版だったか不明ですがたぶん短いほう。1963年大阪フェスでジャンマルテノン/N響で春祭聞きましたよ。幻想交響曲ともどもいまだに心に残る演奏会でした。「舞踏会」では指揮台でワルツを踊っていたのが粋でしたね。

2014年にゲルギエフがマリインスキー歌劇場o.と来日したときは、火の鳥が1910年全曲版の3大バレエでした(ペトルーシュカは1911年版)。
確か終演が22時近かったと思います。
オケの皆さんは平然と弾いてましたが、聴くほうはぐったりでした。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://concertdiary.blog118.fc2.com/tb.php/3038-12bf9b7a
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | HOME |  »

























Since
September 13, 2007

これまでの来訪者数

最近の記事

お知らせ

●2007年7月以前のArchivesを順次、アップロード中です。併せてご覧下さい。
2007年7月
2007年6月
2007年5月
2007年4月
2007年3月
2006年7月

Category

ブログ内検索

プロフィール

リンク

News   

雑誌 モーストリー・クラシック に連載中
「東条碩夫の音楽巡礼記」