2021-06

2018・7・26(木)中桐望ピアノ・リサイタル

    Hakuju Hall  7時30分

 浜松国際ピアノコンクールで彼女の演奏を初めて聴いてから、もう6年が経つ。
 あの時は、準優勝を飾った彼女のスクリャービンのソナタでの明晰さと伸びやかさ、ブラームスの「協奏曲第1番」での表情の細やかさなどが実に魅力的だった。
 今年5月のリサイタルは残念ながら聴けなかったので、今日のラヴェル、サティ、ドビュッシー、グノーという魅力的なフランス・プログラムを楽しみにしていたのだが━━。

 迂闊ながら、行ってみてから気づいたのだが、これはこのHakuju Hall 名物の「リクライニング・コンサート」だった。例の「聴いていても、寝ていてもいい」という、あれである。
 最後列の席を貰い、椅子を半ばリクライニング状態にしてリラックスしてみると、これはもう、あまりに気持がよすぎて、寝るなという方が無理だ。
 椅子を通常の状態にしておけばちゃんと聴くことはできるのに、場内アナウンスで「椅子はリクライニングできます」と繰り返し言われると、折角だから━━という気になってしまうのが人間の弱いところである。

 コンサートは、彼女の元気のいいトークで始まった。最初のラヴェルの「水の戯れ」もかなり勢いのいい演奏で、もう少し陶酔性があってもいいのに、と思ったり、あれから彼女も変貌して来たのかな、とも思ったりしつつ聴いていた。続く「亡き王女のためのパヴァーヌ」と「高雅で感傷的なワルツ」では、その演奏も次第に細かいニュアンスを感じさせるようになって来たような気がしたが、すみません、そこまでである。

 そのあとのサティやドビュッシーの作品集は、彼女のトークもろとも、リクライニング・チェアに身体を埋めた自分の別種の陶酔のとりこになってしまい━━。隣の席に遅れて来た年配の女性が座り、プログラムをガサガサやっているのにイライラしていた頃には耳も作動していたが、その女性が途中で席を移ってしまい、隣が静かになると、これでもういけなくなった。

 しかし、それでいながら、1時間ちょっと(休憩なし)の演奏会が終ってみると、プログラムの最後に置かれていたグノーの「ファウストのワルツ」(リスト編)が、頭の中でいつまでも、いつまでも鳴り続けている、という状態なのである。全く、人間の脳というものは、おかしなものである。
 とにかく、中桐さん、御免なさい。次は「リクライニング」ではなく、「普通のリサイタル」の時にちゃんと聴かせていただきますので。━━しかしこの「リクライニング・コンサート」というのは、全く、名物だけのことはある。

 さて今週末は、3日間で、会津若松(オペラ「白虎」再演)、札幌(ゲルギエフとPMFオケのフィナーレ演奏会)、金沢(ミンコフスキとOEKの「ペレアス」)と転戦する予定なのだが、突然の台風襲来とあっては、うまく空路移動できるのかどうか?

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