2019-11

2018・6・23(土)秋山和慶指揮東京交響楽団&マルカンドレ・アムラン

     サントリーホール  6時

 何とも珍しい曲を取り上げてくれたものである。
 前半に演奏されたその2曲は、クララ・シューマンの「行進曲変ホ長調」(ユリウス・オット・グリムによる管弦楽編曲版)と、ロベルト・シューマンの「交響曲ト短調《ツヴィッカウ》」(未完成交響曲)。

 定期公演でこういう作品を知る機会を与えてくれたのは、実に有難い。
 有難いのは確かなのだが、さりとてもう一度、求めて聴く機会を得ようという気はあまり起こらぬ曲、というのが正直なところだ。
 前者はお定まりのファンファーレ調の音型で開始され、比較的平凡な曲想が続く。曲自体は軽いが、管弦楽編曲の声部が分厚く、何となくワーグナーの最初期の行進曲に似た響きに仕立て上げられているので、さらに微苦笑させられてしまう。
 一方、後者はいかにもロベルトらしい雰囲気の響きは持っているものの、これもどうもあの天才の作品にしては閃きのあまりない曲で、20分足らずの演奏時間が些か長く感じられたほどだ。休憩時間に業界の知人が「未完成でよかった(助かった?)と思うよ」と評したのは、言い得て妙であろう。

 休憩後には、ブラームスの「ピアノ協奏曲第1番」が演奏された。
 こちらはもう名曲中の名曲だが、マルカンドレ・アムランがスタインウェイのピアノからこの上なく透明で澄み切った音色の叙情美を引き出し、秋山と東響がこれも叙情性豊かな美しい音色を響かせて、この重厚壮大な協奏曲をむしろ爽やかなイメージで彩り、新鮮な美しさを感じさせてくれた。これこそまさに新しい発見、と言えよう。

 第1楽章のオーケストラのみによる長い主題提示部の個所で、秋山のテンポが次第に今にも停まりそうな遅さになって行ったのには冷や冷やさせられ、これはもしやあのグレン・グールド的な、長い演奏になるのではないか、と半ば覚悟したほどである。
 だが幸い、アムランが弱奏で表情豊かに入って来たあとは、次第にテンポも上がり始めた。が、それでも第1楽章では、とかく沈潜しがちなオーケストラをアムランがその都度切り裂くような鋭さで覚醒させる━━といった雰囲気が感じられたのではないか。

 第2楽章では、そのアムラン自身も危ういほど沈潜しきった世界に入り込み、いつ果てるとも知れぬ美しいアダージョが続いた。
 だが第3楽章では、秋山&東響もアムランも一気に解放されたように、アレグロ・ノン・トロッポの楽譜指定を遥かに超えた活気ある推進力を爆発させ、最後のピウ・アニマートもほとんどプレストという感のテンポで盛り上げた。これで、全て辻褄が合った、というわけである。

 全曲を通じてアムランとオーケストラの澄んだ美しさが際立った。通常なら堅固剛直、重厚壮大、疾風怒濤といったイメージをあふれさせるこの曲から、その力感とエネルギーとを持続させたまま、信じられぬほどの透明感、清涼感、しかも艶のある優雅さを引き出してみせたのである。爽快なブラームスの「第1協奏曲」であった。

 アムランはそのあと、オケはそのままに、ソロ・アンコールとしてシューベルトの即興曲から「作品142の2」を、これは極めて微細に、音やフレーズの一つ一つを愛でるように紡いで行った。

コメント

アムランは初めて聴くが、ブラームスの一番をクリアな響きで見事な演奏で、第三楽章でのヴィルトゥオーゾぶりが分かりました。
何より、大曲を弾き終えてのアンコールを作品と会話するごとく慈しむように弾いて、心静かに引き込まれまれました。アンコール曲はソリストの志向や音楽性が良くわかります。梅雨の季節、帰りは心穏やかに満たされた気持ちとなりました。

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