2018-11

2018・6・17(日)NISSAY OPERA 2018 モーツァルト;「魔笛」

     日生劇場  1時30分

 今や引っ張りだこの存在になった若手演出家、佐藤美晴によるニュー・プロダクション。沼尻竜典が新日本フィルを指揮。

 歌手陣はダブルキャストで、この日は、山本康寛(タミーノ)、砂川涼子(パミーナ)、青山貴(パパゲーノ)、角田祐子(夜の女王)、小堀勇介(モノスタトス)、伊藤貴之(ザラストロ)、今野沙知絵(パミーナ)、田崎尚美・澤村翔子・金子美香(3人の侍女)、盛田麻央・守谷由香・森季子(3人の童子)、山下浩司(弁者)および清水徹太郎(2人の僧侶)、二塚直紀・松森治(2人の武士)という顔ぶれ。合唱はC・ヴィレッジ・シンガーズ。
 ドラマトゥルクは長島確。舞台美術は池田ともゆき、照明伊藤雅一、衣装が武田久美子。

 これは、演奏の面でも舞台の面でも、すこぶる力のこもった上演であった。
 まず第一に、沼尻が新日本フィルから清楚で端整で切れの良い音楽を引き出し、音楽でドラマを引き締めるという重要な役割を完璧に果たしていたことが特筆されよう。歌手陣の歌唱もすべて手堅く、音楽的にも極めて聴き応えのある上演であったと言えるだろう。

 歌唱はドイツ語だが、台詞は日本語(「本当はドイツ語で喋っているのだが、この不思議な物語の空間では日本語に変換されて聞こえるのです」と称しているのがミソ)で、それもかなり原作とは変更され、佐藤美晴自身が書いた「現代的なニュアンスを織り込んだ」台本で進められている。
 一般の上演ではたいていカットされる原作の個所━━夜の女王が語る「太陽の国」支配をめぐる亡き夫との争い、およびその夫とザラストロとの過去の経緯など━━が今回は生かされているのは好ましい。
 ただ、そのセリフの進行は著しくテンポが遅く、時にドラマの進行を阻害するような傾向があったのは惜しい。もしそれが切れ味のいいテンポで進められていたら、客席からの笑いをもっと誘ったかもしれない。

 しかし、演出面では、さすがに今回は注目すべきところが多い。
 ザラストロの「高貴な国」は、今回は何と、灰色の服装と顔色と髪の色ばかりの者たちによる、暗く画一的な秘密組織の如き集団だ。彼らはタミーノたちが試練を受ける決意を表明するのを、タバコを吸い、酒を飲みながらせせら笑うといった具合で、とても「太陽の国」とは思えぬ、もはや崩壊寸前の「組織」である。
 その組織の中では、男尊女卑が著しく、女は雑用係といった役回りだ。これは当然、前述の夜の女王の「太陽の国の支配は女ごときものには任せられぬと夫から言われた」というセリフと呼応する解釈であろう。

 だが結局、新世代のタミーノとパミーナの若々しく清純な愛によってその旧弊な世界は一掃される。幕切れ場面では女性たちが解放され、それまで威張っていた男たちの旗色が悪くなるという光景がみられるのだが、この組織が、タミーノとパミーナにより救われる━━つまり若き清純な愛がすべてを救う━━というのが、演出の骨子のようである。それは、「組織」の旧弊化を憂えたザラストロの作戦だったのかもしれぬ。
 ただし、そのあたりは、あまり明確に描かれていない。「組織」の者たちが自覚し覚醒し変貌する過程や、ザラストロの深謀遠慮ぶりなどが、もう少しはっきりと演出されていれば、もっと解りやすかっただろう。

 ザラストロと、敗北した夜の女王とが最後に和解するのかどうかは、あまりはっきりしないけれども、演技を見れば、少なくともザラストロが彼女に深い同情の念を注ぐというのは間違いないだろう。
 こうした演出の設定は特に目新しいものではないが、今回は、奥の高みに向かう新世代のリーダー(タミーノたち)と、前面に残されたまま労り合う老いた世代(ザラストロたち)とを視覚的に対比させたことは、幕切れで世代の交替を強調する演出として、効果的なものであった。

 タミーノとパミーナは、まさに「少年と少女」である。その衣装は、序曲のさなかに登場して「物語の設定を相談する」3人の童子のものと全く同一だ。
 冒頭には大蛇は登場せず、代わりに厳しい大人たちに囲まれ、少年タミーノが受験勉強を強いられて悲鳴を上げるという設定となっていて、これは面白い。やってくれたなという感。

 その「大人たち」が、のちにザラストロの国で登場する連中と同じ姿をしている━━というのも、何となくコンヴィチュニー的な手法で、面白い。
 が、もし同じ連中だとしたら、彼らが夜の女王の3人の侍女からスプレーを吹きかけられ、ゴキブリの如く退散させられるという力関係は、のちの物語の展開とはどうも整合性がないのではないか(それなら夜の女王たちがザラストロの国に攻め込む際に、武器として殺虫剤スプレーの数本もあれば勝てるはずではないか、と突っ込みたくなってしまう)。
 スプレー以降は全てタミーノの「夢」だったというなら、幕切れにそれを証明する光景がない以上、この「魔笛」はタミーノの「永遠に覚めぬ夢」だったということになるか。いずれにせよ、「受験勉強から解放されて冒険に乗り出したタミーノの物語」であることは確かだろう。

 一方、「火と水の試練の場」を照明の変化のみで象徴したのは、賢明な方法であった。この場面で、火と水を実際に舞台に具現すると、たいてい恐ろしくチャチになってしまうからである。

 登場人物の個々のキャラクターは、良く出来ていた。
 就中、私が気に入ったのは、パパゲーノを歌い演じた青山貴。もともと童顔の人だが、今回はすこぶる愛嬌のある鳥刺し君になっていて、安定した歌唱とともに、シリアスな舞台に明るい雰囲気を導入していた。この舞台だけを観ると、この人がワーグナーの舞台では一転して威風堂々、槍をかざしてヴォータンを歌い演じるなどとは想像もつかないだろう。
 可愛さでは、パミーナの砂川涼子だ。クマのぬいぐるみを抱いた女のコという設定で、メッチャ可愛いというタイプ。もちろん歌唱は優れている。

 他に私が以前から注目していたのは、先頃の東響定期でのウド・ツィンマーマンのオペラ「白いバラ」で素晴らしい歌唱を聴かせてくれた角田裕子の夜の女王だった。杖をついた美老女という態のメイクは面白く、安定したコロラトゥーラを聴かせてくれた。
 タミーノの山本康寛はなかなか舞台映えするし、歌唱もいい。彼とともにびわ湖4大テナーの一角を為す二塚直弘は、今回「第1の武士」を演じており、サングラスをかけたやくざ風のいでたちが笑える。伊藤貴之も風格あるザラストロを歌っていた。

 この「魔笛」のニュー・プロダクションは、このあと秋にかけ、甲府、大分、大津、八幡、田辺で巡演されるそうである。もう一度、びわ湖ホールあたりでの上演(10月6日)を観てみようか。それまでには、演出の細部も更に完成度が高められているだろうから。
      ⇒別稿 モーストリー・クラシック9月号 公演Reviews

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