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2018-08

2018・5・30(水)イラン・ヴォルコフ指揮読売日本交響楽団

     サントリーホール  7時

 イスラエル出身の指揮者イラン・ヴォルコフは、ちょうど10年前、彼が未だ32歳の時に東京都響に客演し「トゥーランガリラ交響曲」を振ったのを聴き、その激しい表現に驚嘆したことがあるが━━「星の血の喜び」などは「星の血の狂乱」という感だった━━それ以降は、あまり聴く機会を得なかった。

 今回、久しぶりに聴いて、オーケストラを朗々と響かせる熱狂的なエネルギーの健在ぶりを確かめることができたが、それと同時に、オーケストラから引き出す響きにバランスの良さが増し、また音色の構築にも巧さが増したという印象をも受ける。

 今日のプログラムは、プロコフィエフの「アメリカ序曲」、バーンスタインの「第2交響曲《不安の時代》」、ショスタコーヴィチの「第5交響曲」というものだったが、それらの音色にはある種の透明感があふれていて、「不安の時代」でのクライマックスの個所など実に美しく、しかも白々とした不思議な虚無感を滲ませているように思えたのである。
 これは個性的な「若手指揮者」だ。近・現代音楽には極めて主張の濃い指揮を聴かせる指揮者だと思うが、この人がウィーン古典派のレパートリーを振ったらどんなイメージになるか、「ナマで」(録音では絶対判らないだろう)聴いてみたい気もして来る。

 読響(コンサートマスターは長原幸太)は、その「不安の時代」や、ショスタコーヴィチの第3楽章などで見事な透明感を打ち出し、かつ後者の終楽章では「天地も鳴動する」(?)大音響で盛り上げた━━本当に大きな音を出すオーケストラである。

 プロコフィエフの「アメリカ序曲」というのは、私はナマでは初めて聴いた。この作曲家にしては精一杯の明るさを狙った曲だが、1920年代の彼の作風においては、こういう御機嫌取り的なスタイルは、やはり似合わなかっただろう。ウケなかったのも無理はない、と思わせるような小品である。

 「不安の時代」は、昨夜のロイヤル・バレエの上演映像に続き、奇しくも2日続けて聴く巡り合わせになったが、河村尚子の清澄透明な爽やかさに富んだ魅力的なソロを含め、今日の演奏の方が圧倒的に感銘度も高い。だが、演奏を聴きながら、昨夜観たバレエの光景が盛んに頭の中をよぎったのは確かである。

 ショスタコーヴィチの「第5交響曲」は、正直に言うと、私には大変苦手な曲だ。

コメント

ショスタコーヴィチの5番について「苦手な曲」の一言なのが意外で面白かったです。今でこそ4,7,10,12番等、いくつかの彼の交響曲に親しみましたが、5番は長い間私が唯一知る彼の交響曲でした。そればかりか7月8日、4年ぶりのN響大分公演でフェドセーエフの指揮で聴くのを楽しみにしております。どの辺が苦手なのでしょう? 確かにショスタコーヴィチの交響曲自体が(全部は未だに聴いてませんが)聴く人を選びそうだとは思います。

ショスタコーヴィチの5番は妥協の産物とはいえこの作品を無くすと寂しいものになるだろう。ベートーベン第九の4楽章と同様やはり4楽章の冒頭は何度聞いても胸を躍らされる(関西ではTVドラマ「部長刑事」のテーマとして使われていた。数年前のブリバエフ/センチュリー響での2楽章、スローダウンさせたヴァイオリンソロ(荒井氏)は忘れがたい。

5番

読響の翌日は、同じくサントリーホールで東京フィル(バッティストーニ)の「5番」でした。私は後者のみでしたが、「昨日は読響で…」という方もおられたようで、先生の最後の一文は翌日への巧妙な伏線か(!)とも思ったのですが、さすがに違ったようですね。

東京フィルも堪能しましたが、読響のサウンドはもっと大きかったのでは、と想像します。

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