2021-06

2018・4・21(土)大阪4大オーケストラの饗演

    フェスティバルホール  4時

 大阪国際フェスティバルの一環として組まれているこの企画、今年が第4回。一応「完結編」と銘打たれていたものの、幸いに来年4月にも続編が開催される気配だ。

 今年は、
尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団がエルガーの序曲「南国にて」、
藤岡幸夫指揮関西フィルハーモニー管弦楽団がチャイコフスキーの「白鳥の湖」抜粋、
飯森範親指揮日本センチュリー交響楽団がリムスキー=コルサコフの「スペイン奇想曲」、
外山雄三指揮大阪交響楽団がブラームスの「交響曲第1番」、
というプログラムだった。2700の席は満員。

 本番の開演は4時だが、3時半からプレコンサートとして、大栗裕の「大阪国際フェスティバルのためのファンファーレ」の第1番と第2番、およびモーツァルトの「セレナード第12番K.388《ナハトムジーク》」からの第1楽章が、4オケの楽員たちで編成されたアンサンブルにより演奏され、次いで指揮者4人のプレトーク(毎年これがすこぶる面白い)があり、そして本番プロの演奏に入るという段取りである。

 大阪フィルの音楽監督・尾高忠明は今回がこのイヴェントへのデビュー。流石に彼らしく隙のない、しなやかなアンサンブルづくりで、大阪フィルを率いてすべてに均整の取れた「おとなの演奏」を繰り広げた。コンサートマスターは田野倉雅秋。

 続いて登場した藤岡幸夫と関西フィルは、情熱的で勢い充分。荒々しいほどのエネルギー感で「白鳥の湖」を演奏した。
 計40分近くに及ぶ抜粋は藤岡が独自に選曲したものだが、ガンガン鳴って最強奏で終る曲を多く集めていたため、聴く方が疲れてしまい、肝心の大詰めの「泣かせる」はずのクライマックスが、思ったほど効果的なものにならない、という結果を生んだのが惜しかった。
 疲れたのはどうも私だけではなかったらしい。ロビーで会った知人たちとも「後半のうちの1曲か2曲は無くてもよかったかなあ」という意見で一致。終ったのが、プレ・イヴェントの開始から1時間45分も経った時だったのも、運が悪かっただろう。コンサートマスターは岩谷祐之。

 休憩後には、まず飯森範親と日本センチュリー響の「スペイン奇想曲」が、闊達に、華麗に演奏される。各パートのソロが妍を競うこの曲で、飯森はそれらのソロを愉しむかのように、オーケストラを湧き立たせて演奏させた。
 コンサートマスターは松浦奈々。久しぶりに彼女の独特の身振りによる演奏が楽しめた。あの華やかな身振りを何やかやという人もいたらしいが、個性的でいいではないか。気にせずに彼女の自然のままでやってもらいたいものである。

 大トリは、外山雄三指揮の大阪響の登場だ。前後をベテラン指揮者が落ち着いた作品と演奏で囲み、中の2曲を気鋭の指揮者が華やかに━━というプログラム構成は、なかなかよく出来ている。
 それにしても、このブラームスの「第1交響曲」の演奏が始まったとたんに、それまでの賑やかなお祭り的な雰囲気が消え、シリアスな演奏会という雰囲気がホール中にみなぎって行ったのは面白い。それはブラームスの音楽がつくり出す不思議な魔力の所為か、あるいは外山と大阪響の真摯でまじめな演奏の所為か、はたまたその両者のゆえか。

 外山の指揮はゆっくりしたテンポ(第1楽章提示部の反復なしでも演奏時間は計49分前後だったか)で、感覚的には全4楽章があたかも同じテンポ(?)で進められているかのような印象を与える演奏だったのだが、しかし、何か理屈なしに、いい感じなのである。
 森下幸路をコンサートマスターとするヴァイオリン群は強力だが、ホルンがおとなしく、しかも音色が粗いのが残念だ。オケの音にふくよかさが感じられなかったのはそのためか。ブラームスの作品の場合、ホルンがもっと気を吐いてくれなくては。

 演奏が終了したのは6時54分頃。そのあとには、例年通り、福引(演奏会招待)の抽選が行われた。4人の指揮者たちの陽気なキャラが面白い。87歳のマエストロ外山の、ユーモアあふれる元気さも聴衆を楽しませた。終演は7時10分頃か。総計3時間40分に及ぶ大イヴェントであった。

 なお、異なるオケが異なる編成で臨むステージの楽器配置の転換作業は、例年のように各楽団のスタッフが合同で手際よく動くので、今年もスムースに進められた。大フィルから関西フィルへの転換が約5分、センチュリー響から大響へは約6分━━というところで、ふつうの演奏会であれば特に早いというほどでもないが、オーケストラそのものが入れ替わるということを思えば、見事なワザだろう。もっとも後者の転換の際には、ステージ前方の変な場所に椅子を置き忘れていたようだが・・・・。

 それよりも大阪響の演奏の際、すでにほとんどの楽員が着席し終っているというのに、何人かが遅れて入って来て(もちろん、コンサートマスターのことを言っているわけではない)、1人はチューニングのさなかに駆け込んで来るなどという醜態を演じたのはみっともなかった。こんなプロらしからぬことは、いかなる事情があろうと許されるものではない(昔、ショルティとウィーン・フィルの日本公演で似たようなケースがあったが)。

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