2021-06

2018・4・19(木)上岡敏之指揮新日本フィルハーモニー交響楽団

      サントリーホール  7時

 音楽監督・上岡敏之の指揮。
 前半にモーツァルトの「ピアノ協奏曲第24番ハ短調K.491」を、ソリストにアンヌ・ケフェレックを迎えて演奏。後半にはブルックナーの「交響曲第6番イ長調」をヨーゼフ・ヴェナンティウス・フォン・ヴェスによる「編纂版」(1927年刊の由)で演奏するというプログラム。コンサートマスターは崔文洙。

 モーツァルトでは、上岡の指揮は、いまどき珍しいほど重くてレガートな、引きずるような音楽のつくりが印象的だ。新日本フィルの弦も管も、優麗に歌う。ケフェレックも今回はかなり沈潜した表情だったが、カデンツァではやや本性を顕わしたような感もなくはない。第2楽章のラルゲットでは、両者ともに美しい叙情性をあふれさせた。

 さてブルックナーの交響曲。最近はみんな手を変え品を変え、版も変えて、それぞれの目立つ特色を出そうという指揮者が多いようだが、特にこの「6番」は、やれハース版だ、やれノーヴァク版だ、いやエーザー版だコールス版だ、などという波風(?)の全く立っていなかった曲だけに、今回の上岡が「ヴェス版」を紹介してくれたことは非常に貴重である。

 とはいえ、このヴェス版は、ブルックナーの原典楽譜を校訂するような類のものではない。むしろ、いわば面白く聴かせるためにあれこれ手を加えた楽譜と言った方がいいかもしれない。「編纂版」といったのはそのためであろう。ロベルト・ハースが正規の校訂版を出す以前には、やはりこういった勝手な(?)楽譜も現われていたのだな、と思うわけで。

 で、私はこのヴェス版のスコアは所持していないが、もしその辺の事前知識なしにこの演奏を聴いたとしたら、また(などと言っては失礼だが)上岡さんがやりたい放題やっているな、などと誤解したかもしれない。
 もちろん、彼独自の解釈も多少は入っているだろうけれど、スコアに加えられた「編纂」には、昔の人でなければやれないような強引な手法も聴かれる。特にデュナミークの違いは大きいし、例えば第4楽章の最後などにおけるティンパニのパートには呆気にとられた。クナッパーツブッシュやマタチッチなど、往年の巨匠たちが「改訂版」を使いつつ、よくそういう「独自の変更」を施して指揮していたことを思い出し、今回のヴェス版を聴きながら、時代の変遷に想いを馳せる。

 なお、現行版にも多いフォルテ3つの個所での全管弦楽の咆哮は、今日の演奏ではかなり狂気じみた怒号の形を採って再現されていた。その一方、第2楽章での弦の和声的な美しさは出色のもので、上岡と新日本フィルのブルックナーにおける、最良の面が発揮されていた。

 アンコールには、ケフェレックはヘンデルの「メヌエット ト短調」を、また上岡と新日本フィルはモーツァルトの「交響曲第29番イ長調」のフィナーレを演奏したが、これらがまた見事なものだった。前者は沈潜した美しさであり、いっぽう後者は颯爽として優麗軽快、さながら「毒消し」清涼剤の如し。

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