2021-06

2018・4・14(土)ジョナサン・ノット指揮東京交響楽団

     サントリーホール  6時

 マーラーの「交響曲第10番」からの「アダージョ」と、ブルックナーの「交響曲第9番」を組み合わせたプログラム。
 ともに作曲者の最後の交響曲であり、未完成に終った交響曲でもあり、しかもマーラーのアダージョ主題がブルックナー後期の交響曲から影響を受けている、という特徴などを考えると、これはなかなか巧みな選曲であると言えよう。演奏も入魂の世界と謂うに相応しい。

 「アダージョ」は、鋭角的な厳しさを備えた演奏で、これは優れた表現に思えた。ノットのマーラーは概して素っ気ないが、このマーラー最後の「20世紀的」な楽想をもった音楽では、それがむしろ成功していたように感じられたのである。

 一方、ブルックナーの「9番」は、新しいコールスの校訂版に拠った演奏だった。ただし今回は、彼(ら)により補訂完成された第4楽章は演奏されず、ブルックナーのオリジナルである第3楽章までが取り上げられていたが、まあそれで充分であろう。
 コールスの最新版については、実は私も不勉強にして、いまだスコアを入手していないという段階にあり、たとえば第1楽章の【M】の直前、第300小節で、ハース版にもノーヴァク版にも無いティンパニがリズムを刻むという聴き慣れぬ響きにギクリとし、オケの事務局に確認の問い合わせをしたり、慌ててラトル&ベルリン・フィルのCDを聴き直して確認したりする程度なのが正直なところで。

 それはともかく、この日のノットと東響の演奏では、造型こそ厳格強固に保たせてはいるものの、その内部では、怒りのような激しい感情が沸騰していた。あたかもブルックナーが現実の生涯では顕わせなかった複雑な感情を音楽で爆発させていることを暗示するような、そういう激しさだったのである。

 ノットが指揮したこれまでのブルックナーは、壮麗な大伽藍を思わせる演奏よりも、凝縮した音の大建築という趣を示していたが、今回の「9番」も、基本的には同じ路線上にあるだろう。ただし今回は、著しく凶暴な音楽づくりだった。だがそれは、ブルックナーが最晩年にして初めて牙を剥いた、荒々しい不協和音を取り入れた悪魔的な楽想に富むこの「9番」には、極めて相応しいものだったのである。
 コンサートマスターは水谷晃。

コメント

凄演が続く・・・

いつ終わるのかと気が遠くなりかけた2014年の3番以降の彼のブルックナー演奏の中で今回が最も心を揺さぶられた秀演でした。NHKの収録のせいなのか、いつにも増して気合が入っていて、P席2列目で聞こえてくる唸り声は凄まじいものがありました(NHKは処理するんでしょうけど)。
それにしても、3月にインバル/レニングラード、つい先日は大野/マーラー3番、そしてこの日と、緊張を強いられ終わった後にどっと疲れが出る演奏ばかりで、私としてはまったくもってうれしい悲鳴。そして今週はカンブルラン/マーラー9番、しっかり食べて体力温存しておきます(笑)。

15日ミューザ川崎で聴きました。14日からの振替でステージ真横の3階RAという滅多に座らない席でしたが、ブルックナーでは席が振動する迫力でした。ノットや水谷晃の表情も見え、気迫の指揮に応える楽員の集中が、全休止での弦を切ってあげるところでも如実に伝わってきました。SHでの8番も見事でしたが、ご指摘のように力強い熱いブルックナーに感動しました。意外に各階に空席の目立ちましたが、マーラー、ブルックナー共にノットの棒が膝まで下りてくるまで静寂に包まれ、そののちは熱い拍手が沸き上がり、ノットへのソロカーテンコールまで続きました。共に最後の未完交響曲の永遠に聴けない続きへの思いと余韻が残る素晴らしい演奏会でした。


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