2021-06

2018・4・8(日)尾高忠明指揮大阪フィル音楽監督就任記念定期

      フェスティバルホール  3時

 三善晃の「オーケストラのための《ノエシス》」と、ブルックナーの「交響曲第8番」を組み合わせたプログラムで、尾高忠明が大阪フィル第3代音楽監督就任の定期を飾った。昨年3月の井上道義の首席指揮者退任のあと、1年間のミュージック・アドヴァイザーという肩書を経て、この4月の就任、となったものである。因みに尾高は1947年生まれであり、それは奇しくも大阪フィル(当時は関響)の誕生と同年なのだ。

 大阪フィルにおいては、ブルックナーの「第8交響曲」は、シェフだけが指揮することを許される作品だという。━━というと些か物々しいが、これはもちろん、わが国のブルックナーの交響曲指揮で不滅の功績を残した故・朝比奈隆氏への敬意から自然に生まれたしきたりだろう。
 事実、氏のあとで大阪フィルとこの曲を演奏した指揮者は、第2代音楽監督の大植英次と、首席指揮者・井上道義だけであった。楽団にとっては、それは特別な、祝典的な大交響曲なのだ。その「8番」を、尾高忠明は就任最初の定期で取り上げたのである。

 演奏にはハース版が使用された。「8番」のハース版は朝比奈が愛した版だが、尾高もこの曲では常にハース版を演奏する。2010年12月に読響を指揮した時も同様だった。
 朝比奈以来久しぶりに聴くオーソドックスな、均衡を重視した堅固な構築を備えた、壮大志向のスタイルによる演奏である。作為的な手法も外連味もない、不動のテンポによる極めて率直な「8番」だ。こういう演奏で聴くと、やはりこの曲の並はずれた威容が再認識させられるだろう。
 前日の演奏は、初日とあってオーケストラも興奮の極みになってしまい、アンサンブルも・・・・だったというけれども、2日目の今日は予想通り落ち着いた演奏というか、整然とした構築感の裡に進み、全曲最後の3つの下行音も、スコア通りのリタルダンドをもって、揺るぎなく固められて終結した。とはいえやはり、非凡な、入魂の演奏だったことは確かである。

 第1楽章こそやや慎重に構えた印象だったが、演奏は楽章を追うごとに推進性を強めて行った。第2楽章でのスケルツォの終結部分は、ティンパニの豪壮な打ち込みもあって、威力的な昂揚となった━━ここでの「最後の一押し」の力感は、これまで聴いたことがなかったほどのものだった。第3楽章では、例のワーグナー・テューバの高貴な合奏個所(ハース版第67~70小節と第161~164小節)にもう少し緻密さが欲しかったものの、全体にたっぷりとしたテンポの入魂の演奏は見事で、私は昔、カラヤンの最初の全曲LPを聴いた時に連想した深い山の奥の静寂な湖の光景が久しぶりに蘇ったような思いになったくらいである。第4楽章でもそのエネルギーは衰えず、何度か訪れる豪壮な頂点が、それぞれ見事に築かれていた。 
 かように今回の「8番」は、私が最近聴いたこの曲の演奏の中でも、最も率直で雄大な、均整のとれた演奏ということができるだろうと思う。

 最初に演奏された三善晃の作品も、日本的な静謐さと、激烈な爆発点を併せ持つ作品である。打楽器群の怒号が凄まじい頂点での興奮が、チェロの長い持続音のみを残して静まって行き、やがて永遠の静寂の中に消え去って行くかのような終結はこの上なく美しく、感動的である。尾高のこの曲に寄せる愛情と共感を示す快演であった。音楽監督就任定期の1曲目に日本人作曲家の作品を組んだ、という姿勢も、高く評価されるだろう。
 今日のコンサートマスターは田野倉雅秋。

 近年、大阪フィルのアンサンブルは少々荒れ気味だったが、尾高は多分、それを改善してくれるのではないか。この新シーズンに彼が振る定期は、あとは来年1月しかない━━これはちょっと少なすぎる━━が、しかし5月から12月までの間に、5回に及ぶベートーヴェンの交響曲ツィクルスを指揮することになっている。原点に立ち返っての企画ということで、彼の手腕を信頼したい。
      →別稿 モーストリー・クラシック7月号 公演Reviews

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