2019-04

2018・3・26(月)東京・春・音楽祭 クラウス・フローリアン・フォークト

      東京文化会館小ホール  7時

 さすが人気のフローリアン・フォークト、今日は結構な客の入りで、ほぼ満席に近い。歌われたのは、ハイドンが「すこぶる平凡な話」など6曲、ブラームスが「甲斐なきセレナーデ」など5曲、マーラーは「さすらう若人の歌」(4曲)、R・シュトラウスは「献呈」など5曲━━というプログラムだ。

 フォークト、いつもながらの明るい、爽やかな声である。最高音を強声で延ばしたその声の耳当りの好い美しさ。フォルティッシモからソット・ヴォーチェに至る幅広い声が楽々と響いて来て、実に快い。
 前半のハイドンとブラームスでは、どちらかといえば楽観的な曲想のものが多かったのに対し、休憩後は一転して、マーラーでは打ち沈んだ、なにか自棄的な憂鬱さを感じさせる表現になる。そしてR・シュトラウスでの劇的な昂揚に続く。いずれも若者の純な喜びや哀しみの情感にあふれて、未来への希望を感じさせる歌唱表現だ。

 こうした素晴らしい歌唱ではあったのだが、どこかひとつ座りが悪いリート━━というもどかしさがついて回ったのは、フォークトのせいではなく、ピアノが、なんか歌としっくり合わなかったせいだろう。これが本当に惜しかった。

 そういえばこの協演ピアニストは、当初はイェンドリック・シュプリンガーの予定だったのが、右手を負傷したとかでバート・バーレイというハンブルク州立歌劇場の声楽指導監督を務めるピアニストに代わったのだった。
 この人は、ちゃんと弾くことは弾くが、音楽が如何にも平板で、表情に乏しい。「さすらう若人の歌」第4曲の大詰、主人公の感情が一転する個所でのピアノが、殆ど機械的とも言えるような単調さで進んで行った時には、これではとても音楽にならないと思えたくらいである。シュトラウスの「献呈」の最後で感情が大きく昂揚する個所でも、さっぱり盛り上がらぬ。
 本当に惜しかった。もしピアノが名手だったら、このリサイタルはさらに感銘深いものになったであろうに。

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