2021-06

2018・2・28(水)藤村実穂子リーダーアーベントⅤ

     紀尾井ホール  7時

 紀尾井ホール恒例の、藤村実穂子(メゾ・ソプラノ)のリサイタル。と言っても、これは4年ぶりのものだ。
 プログラムは、最初にシューベルトの歌曲「ガニュメート」「糸を紡ぐグレートヒェン」など5曲、続いてワーグナーの「ヴェーゼンドンク歌曲集」。
 第2部ではブラームスの歌曲「セレナーデ」など5曲、最後がマーラーの「リュッケルトの詩による5つの歌曲」。アンコールはマーラーの「原光」と、R・シュトラウスの「明日の朝」。

 どちらかといえば沈潜した曲想のものが多く、聴いていて少々ヘヴィな気分になったのは事実だが、それよりもやはり、彼女の歌の毅然たる風格、厳しい緊張感、深々とした情感など、いつに変わらぬ素晴らしさには、感動させられる。

 とりわけ第1部のワーグナーの歌曲集が、深く神秘的な、しかも温かい情感にあふれた歌唱で終ったあとを受けて、第2部のブラームスの「セレナーデ」では雰囲気がぱっと軽快になり、さらに次の「日曜日」の「とってもきれいなお嬢さん、とっても可愛い娘さん」(藤村実穂子訳)がまさに可愛く無邪気に、少年らしい甘美な思いを表現するように歌われた時には━━その瞬時に変化する表情の見事さには、本当に舌を巻いた。
 決して崩れを見せない、堅固で安定した深みのある声の力はもちろんだが、何よりこの豊かな表現力こそが、彼女をしてドイツとオーストリアの歌劇場で主役を張る存在にのぼらせたのではなかったか、と━━。

 ピアノはヴォルフラム・リーガー。思い入れたっぷりの演奏だが、ふっくらとした温かさを感じさせて、なかなかいい。

コメント

素晴らしかった。しかし、疲れた。

低域から高域まで完璧にコントロールされた発声テクニック、高度に統率されていながらも雄弁な感情表現、そして、聴衆を圧倒する堂々たる存在感、「これ以上何をお望みですか(ポリーニのショパン練習曲のキャッチコピーですね・・・笑)」と言わんばかりの歌唱に、おそれいりました、これがワールドレベルの芸術なんですね、いやぁ、スゴイものを聴いたと感じ入りながら帰宅の途についたのですが、敢えて申し上げるならば、「歌う」という人間の本能的な行為に基づく芸術表現には、もう少し聴衆に幸せ、喜び、安らぎを与えるという要素があってもいいのではないか、という思いが少し胸をよぎったのも事実です。

彼女の「求道者(c)広瀬大介氏」のようなスタイル、それが他の追随を許さないレベルにあり、また、そのスタイルにもっとも適合する選曲がなされた結果がこれであること(したがって、文句があるなら聴きに来るなと言われるであろうこと)は百も承知ですが、フィッシャー=ディスカウは確かに偉大だけど、彼よりプライを好む人がいるように、彼女の孤高の芸術表現に多大な尊敬の念とわずかな不満足を感じた、と言えばよろしいでしょうか。

以上は決して彼女の歌唱表現・選曲を否定する趣旨ではなく、小生の個人的な感情に過ぎないことは言うまでもありません。このような僭越なコメントが諸賢各位にお耳障りではないよう祈っております。

演技派ではないけど、声で勝負。いつか”冬の旅”必ず歌えるよ。

藤村美穂子のリサイタル。東京にいまだ住んでいれば行くでしょうね。
初めて彼女を聴いたのは、2000年10月8日のウィーン国立歌劇場の”トリスタンとイゾルデ”。ブランゲーネ役でこの歌劇場初登場の時。エスタ・ヴィンベルイとヴァルトラウテ・マイヤーの組み合わせに、マッティ・サルミネンのマルケ王。セミヨン・ビチコフ(日本ではビシュコフというけどBychkov)のワーグナーをここで初めて振る時。1986年に日本へ持ってきたそうだけどアウグスト・エヴァーディングの演出。マイヤーは、この演出でしかウィーンでイゾルデを歌っていない。
いや、本当に藤村美穂子の歌唱には力があった。マイヤーと互角に歌いあっていた。マイヤーの歌にピーンとする輝きがありイゾルデを歌い始めてまだ7年目だったから。
それを眼光鋭く、さりげない立ち位置の角度に鋭さがあって、あまり動きは良くない歌手かなと思いつつもブランゲーネ役を手中に既に収めてあるのを感じたものでした。(マイヤー聴きたくて、いどんどん声が太く成長してきていたエスタ・ヴィンベルイも聴きたくて)
2008年5月のアムステルダムでは、インゴ・メッツマッハーがレジデンス・コンダクターだったので”トリスタンとイゾルデ”。この時も最初は藤村美穂子が2月まではブランゲーネを歌うことになっていました。リンダ・ワトソンのイゾルデでした。
何せバイロイトでステファン・ヘアハイムの新演出のクンドリー役が公表されたから。アムステルダムのブランゲーネはハイディ・ブルンナーという歌手に変わったけど。
(この時は、フェドセーエフ指揮マッティ・サルミネンの歌うボリス・ゴドゥノフを聴きたくてチューリヒに行ってしまったけど。インバル指揮でトーンハレでトゥーランがリラ交響曲もあったから行かなかったけど)

ヴァルトラウテ役を新国立劇場で歌ってくれたのはうれしかったものでした。準・メルクル指揮の)
マイヤーのヴァルトラウテ。M・リポフセクのヴァルトラウテも良かったけど、日本人でこれだけ歌える歌手がいることは頼もしく思いました。10分台しかない出番だけど、存在感が大事な役だけに。

フリッカも存在感ありましたね。

2001年9月のバイエルンが来日した時、ほんのちょい役のマルチェリーナだったけどすでにブランゲーネを歌っていたのを聴いた後だったから、サプライズでヴィオレッタ・ウルマナのブランゲーネと交代もあるのかな。と思ったりもしました。

演技が上手くない”カルメン” ”ドンカルロ”のエボリ公女。上手いのは判るけど、これで演技が伴えばもっといいのにな。と思いました。
演技ができればドリス・ゾッフェルDoris Soffel)のようにカルメン歌いから現在のように”影のない女”の乳母、”アラベラ”のアラベラ母親役のアデライーデ、ちょい役の”アンドレア・シェニエ”のコワニー伯爵夫人かマデロンもOKなのに。
狂言回しのような役どころができればよかったとは思います。

リート歌手での存在感、これはこれは非常に質の高いピュアな選択肢だと思います。
いよいよ、リート歌手での存命を図る時期になっていくのですね。。
**              **         **

なぜ、ここを投稿しにきたのか。それは、アンコール曲目の最後に
>アンコールはマーラーの「原光」と、R・シュトラウスの「明日の朝」
をもってきていることに最大の関心事があったからです。
実は2018年3月16日が、20世紀の大歌手の一人の クリスタ・ルートヴィヒ(Christa Ludwig)の90歳の誕生日誕生日なんです。今ドイツの放送局では話題になっている事柄の一つなのです。
藤村美穂子のアンコール曲目は、クリスタ・ルートヴィヒの十八番(おはこ)中のおはこ。
最後の来日の1994年10月の日本公演だってNHKホールでの公演だけ。「明日の朝」をアンコールで歌いました。名古屋では歌いませんでした。
その3年ほど前の来日は、”冬の旅”を歌っていったではありませんか。
彼女は、この年1994年12月15日がウィーン国立歌劇場開幕だった前日12月14日特別興行でわざわざ総支配人で引退のはなむけに ”エレクトラ”を用意したではありませんか。そして総支配人自ら長ーいスピーチをしていたんですよ。ハインリヒ・ホルライザー指揮、彼女はクリテムネストラ、題名役はヒルデガルト・ベーレンス(この年は9月・10月は日本公演だったし、劇場を閉めていたので開幕は12月15日)

最後に いつの日か  日本人として世界に発信できる貴重な歌手 ミホコ・フジムラが 日本でもそしてシューベルティアーデのようなところでも ”冬の旅” を歌ってくれる日が来ればとクリスタ・ルートヴィヒ90歳を思い浮かべ投稿しました。

すみません。もう少し書かせて藤村美穂子の”冬の旅”実現へ

この先日の2月28日の声の声質は知らないけど。
もう少し時を置いて、まずは”白鳥の歌”でもいい。

もし、ピアノの相手。日本なら 小山 実稚恵 横山幸雄 意外な組み合わせになってしまうけど。この二人なら シューマンの歌曲でもいける。

外国向けなら、 (活動しているかどうかわからないけど)もうどうにもならないくらいポリオが進行していないなら意外にもブルーノ・レオナルド・ゲルバーに弾いてもらいたい。もういい歳になっているけど。彼ならシューベルトいけるはず。

あとは、彼女が適材と思う気心の知れた人を選んでくるか。

どっちにしろ メゾソプラノの歌手が歌う ”冬の旅” は1980年代後半から1990年代にはあった。30年ぶりに誰かの公演をやってもいい条件はそろっていると確信するのです。もちろんW・マイヤーも同じです。

もっとくどいくらい。ウエルテルのシャルロット

二コラ・ジョエル(Nicolas Joel)演出で歌うのですよね。再演だからいいですね。
新演出だから演出家の意向に強く影響を受けた演出補・アシスタントにも強制(矯正)されることに捉われる必要性がないから。自分の歌に集中できる。できるだけ演技を少なくしてあげてもいいのではないでしょうか。

彼女は、新国立劇場にある”愛の妙薬”の演出家チェーザレ・リエヴィのような衣装は似合わない。マルコ・(アルトゥーロ=)・マレッリのような原色系の衣装は似合わない。 という気がします。衣装に押しつぶされてしまう。
チェーザレ・リエヴィ演出の”ウエルテル”は、フランツ・メスト(チューリヒ歌劇場)音楽監督就任1年目の演目にあった作品。F・アライザとV・カサロヴァの組み合わせ・アルベールがアルフレード・ムフ。それは素敵な衣装でしたよ。ああいう衣装はミホコ・フジムラには似合わない気がします。

写真で見るに、少しくすんだようにもみえる品がしっかりしている衣装はたぶん、個性を押しつぶさないのではないでしょうか。
そういう意味で、日本で披露される彼女の声は面白そう。

とかく日本人に敬遠されがちなアンドレアス・ホモキの演出。ものによっては、合っていると思います。
典型的な例は、新国立劇場の”フィガロの結婚”。これは、まじめにすっぽり舞台映えすると思います。やはりマルチェリーナ。栗山民也の”蝶々夫人”のスズキは最高です。ミュンヘンの駆け出しのころは、スズキ歌ったじゃないですか。視てないけど。

ロシア語が歌えれば、マリーナもいける。(ボリス・ゴドゥノフ)
”青ひげ公の城”のユディットは、さらにいける。ただ、20年前にあったロバート・ウイルソンの演出であること。濃絵のような照明にとても合う。もちろんコンサート形式も。。 この役歌ってしまうと、この仕事ばかりオファーが来てしまう可能性があるかも。

****           ****

オペラ歌手生命の短かった マルケラ・ハツィアーノ のようなことをしなければいい。

リート歌手でレパートリーをグンと広げた方が得策に思います。
ただ、オペラ歌手としてのユディット役は選択肢として採用できるだけのことはしてほしい。

くどかったです。失礼いたしました。

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訂正 ウエルテルの演出家 

>新国立劇場にある”愛の妙薬”の演出家チェーザレ・リエヴィのような衣装は似合わない。マルコ・(アルトゥーロ=)・マレッリのような原色系の衣装は似合わない。

>チェーザレ・リエヴィ演出の”ウエルテル”は、フランツ・メスト(チューリヒ歌劇場)音楽監督就任1年目の演目にあった作品。

*********    *******

昔の記憶になってきているときだけに25・26歳ごろに観ていたものが相当数、この歳になってごっちゃ混ぜになっているんです。

チューリヒ歌劇場のウエルテル。アレクサンダー・ぺレイラ総支配人時代のもの。

正しくは、マルコ・アルトゥーロ・マレッリ(Marco Arturo Marelli) 演出。ダグマル・ニーファインド・マレッリ(Dagmar Niefind Marelli)の衣装が正解。
間違いなのはチェーザレ・リエヴィの記述。

マルコ・アルトゥーロ・マレッリは、チューリヒの生まれなんですね。
最初に初めて触れたのが 1995年12月29日最終公演のシモン・ボッカネグラ・・・フアン・ポンスの題名役 ルッジェロ・ライモンディのフィエスコ ヴィンツェンツォ・ラ・スコーラのガブリエーレ・アドルノ エレーナ・プロキナのアメーリア ネロ・サンティの指揮) これと混同しているのです。
アメーリア役がダブルになっていて、ガブリエラ・ベニャチコヴァとエレーナ・プロキナだったのです。そのうち3公演をプロキナだったのですが全公演歌うことになったのでした。キャンセルの多いベニャチコヴァがやはり降板したのでした。

その後は、ウエルテル 無口な女 ヤコブの梯子+ジャンニ・スキッキ 魔笛
夢遊病の女  新国でも2演目演出しているんですよ。フィデリオ ドンカルロ(これは、ベルリンドイツオペラが後で演出されて写真を見る限り東京のものが原演出みたい)

チェーザレ・リエヴィは、1994年11月28日に初日を迎えた”影のない女”が最初。観たのは最終日(C・フォン=ドホナーニ指揮 エスタ・ヴィンベルイの皇帝 ガブリエル・レヒナーの皇后 アルフレード・ムフのバラク ギネス・ジョーンズのその妻 アニア・シリアの乳母 アントン・シャリンガーの伝令使) 
翌年1995年2月にも再演されてドホナーニが降板になって レイフ・セーゲルシュタム(読響に頻繁に来ている)が指揮。配役はそのまま。
もうフランツ・メストが音楽監督に就任して間もなかったから、舞台脇のBOXから第1幕と2幕を見ていました。3幕は帰ったのか別なところから見ていたのか。
舞台を観たり、セーゲルスタムの指揮を観たり。(F・メストは任期最後にD・パウントニー新演出でチューリヒの任期最後の花道の一つにしていった。 ジャニス・ベアードのバラクの妻)

その後 イタリアのトルコ人 新国の 愛の妙薬
前者のキャストは、チェチーリア・バルトリ ルッジェロ・ライモンディ パオロ・ルメッツ(のちにN響でサンティ指揮でシモン・ボッカネグラの題名役 ミュン・フン=チュン指揮”リゴレット”初日の第3幕 サイモン・キーンリサイドの途中降板を受けたもの F・メストがウィーン辞任を受けたもの) フランツ・メストの指揮

藤村美穂子にはチューリヒの歌劇場は歌手に負担の少ない劇場なので本当はとてもお似合いとは思うのですが、御呼ばれがかからなかったのか、忙しすぎたのか 歌手生命を大切にしているのか。チューリヒは1000人を若干切る収容人数なのに。

歌曲を歌うときは、ウィーンの楽友協会のブラームスザールがとても似合っているのでは。



マルコ・マレッリ

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