2018-09

2018・2・21(水)東京二期会
 ワーグナー:「ローエングリン」初日

       東京文化会館大ホール  6時

 日本の演出家による「読み込んで、捻った」舞台は、久しぶりである。

 演出は深作健太、舞台装置が松井るみ、照明が喜多村貴。準・メルクルが東京都響と二期会合唱団を指揮。
 Aキャストの今日は、福井敬(ローエングリン)、林正子(エルザ)、大沼徹(フリードリヒ・フォン・テルラムント)、中村真紀(オルトルート)、小鉄和広(ハインリヒ国王)、友清崇(布告官)他。それに黙役で円山敦史(青年時代のローエングリン)、黒尾怜央(ゴットフリート)が出る。

 いわゆる読み替え演出というものは、何の予備知識もなしにオペラを観に行って、ただ舞台を眺めて演奏を聴いて、歌劇場から一歩出た途端にすべて忘れ去ってしまうような娯楽的嗜好の紳士淑女のためのものではない。今回の深作健太の演出も然りだ。

 つまりこれは、ワーグナーの活動を資金的に援助したバイエルン王ルートヴィヒ2世が、巨匠の作品を愛するあまり、贅を尽したノイシュヴァンシュタイン城に幻想的な洞窟を作り、自らタンホイザーやローエングリンなどに扮して空想に耽っていたことや、精神科医グッデン博士とともに近くの湖で謎の水死を遂げたことなどの歴史的事実を予め承知していないと、理解し難いかもしれない舞台なのだ。
 舞台には、ルートヴィヒ2世の小さい肖像画、あるいはノイシュヴァンシュタイン城のミニチュア模型などがあるが、それらと雖も、その歴史的事実を心得ていなければ、何だか意味の解らぬ存在になるだろう。だが、いったん承知してしまえば、なかなか面白い。

 今回の演出では、「ローエングリン」のスコアを見ながら(つまり音楽を聴きながら)感動し、登場人物の動きを観ながら感動し、ウロチョロとそこらを歩き回っていた冴えない胡麻塩頭の初老男が、いつの間にか自らローエングリンと同化してしまい、それを演じる側に回ってしまう。
 これにはしかし、微苦笑を抑えきれない。考えてみると、その老人を、かりにルートヴィヒ2世でなく、一般の音楽ファンに置き換えても話が成立するだろうと思われるし、「今日のこのローエングリンはあなた自身かもしれませんよ」というメッセージにもなり得るからである(但し私はまだ、そのような空想に耽ったことはない)。

 いずれにせよ、今日の似非(?)ローエングリンは、時に姿を現す本物の(?)凛々しい美形の騎士ローエングリンに温かく、あるいは皮肉気に見守られつつ、物語の主人公を演じて行く。
 その化けの皮(?)が剥がれるのは、第3幕でエルザから氏素性を問い詰められ、敗北した時だ。ここで、悪役のはずのフリードリヒ・フォン・テルラムントが、王の主治医グッデン博士の「正体」(?)を現し、ローエングリンを拘禁する。

 このあたりから幕切れまでの一連の場面を観ていると、あのジャン・デ・カールの著「狂王ルートヴィヒ」に描かれているいくつかの場面━━グッデン博士が看護人たちに命じて「慇懃に」ルートヴィヒ2世を捕縛する場面や、湖から引き揚げられた「ワイシャツ姿の」の王(今日のローエングリンも最後はワイシャツ姿だった)、湖畔で発見されたグッデン博士の「山高帽と傘」(テルラムントはまさにその二つを有していた)などのくだりを思い出してしまう。

 もうひとつ、今回の演出で、多分重要なのは、エルザの弟たるゴットフリート少年の存在なのではなかろうか。
 冒頭、前奏曲のさなかから、中央に彼が座して物思いに耽り、後方のデジタル時計が23時59分45秒から逆行を始めるので、瞬時に「これは回想?」というイメージが頭をよぎる。また「青年時代のローエングリン」という配役表の文字の意味もすぐに判る、という具合だ━━もっとも、実際の舞台の進行は、若干こちらの予想とは違っていたけれども。
 このゴットフリートは、ほぼ全篇にわたり、舞台のどこかに出ずっぱりで、場面を見守る。ラストシーンで彼が舞台中央に屹立し、一同が膝まづくところで、再び現れた時計は0時00分00秒から先へ動き出す━━。

 日曜日には改めてBキャストの上演を観る予定なので、もう一度よく観察してみよう。
 今日の歌手陣もよくやっていたが、最も大きな拍手と多くのブラヴォ―を浴びたのは、指揮の準・メルクルだった。驚異的に速いテンポで押す。第3幕第3場の、ハインリヒ王と兵士たちのくだりなど、声楽アンサンブルが追いつかない個所もあり、いくらなんでも速すぎるという感がなくもなかったが、どちらかといえば私は、遅いテンポより、速いテンポの方が好きである。
 東京都響が好演。合唱団は第1幕の祈りの歌の個所や第2幕の幕切れなど、ゆっくりしたテンポのところでは壮大だったが、第2幕中盤の群衆の速いテンポの個所では、いかにも音が薄かった。

 演奏には、慣習的なカットがある。25分の休憩2回を含み、終演は10時20分頃。
       →別稿 音楽の友4月号 演奏会評

コメント

22日の公演行ってきました。演出は「幼いルードリッヒ2世のローエングリン体験」を基に、’指輪’(オルトルートがヴォータンの様)や’パルシファル’(傷ついた白鳥が落ちる)を織り込んでかなりマニヤック。オケは金管がもっと出れば・・・・。

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>ただ舞台を眺めて演奏を聴いて、歌劇場から一歩出た途端にすべて忘れ去ってしまうような娯楽的嗜好の紳士淑女

初めから読み替え演出だと分かっておれば、チケット購入しませんでした
上記の一文は、ごく普通のオペラファンをないがしろにしている様で、言い過ぎだと思います

> ただ舞台を眺めて演奏を聴いて、歌劇場から一歩出た途端にすべて忘れ去ってしまうような娯楽的嗜好の紳士淑女のためのものではない。

私にとってはまさに、我が意を得たり という文ですw
深作健太の演出で、そんな どストレートの演出を期待されるのは見識不足かと。
(仮にも父君はあの方なのですからw)
個人的には、二期会にはこれからも深作健太氏を起用してほしいと思います。

他人のコメントに横槍を入れるのはよくないことと承知していますが……

>いわゆる読み替え演出というものは、~~ような娯楽的嗜好の紳士淑女のためのものではない。

のであって、読み替え演出を良しとしない人がすべて「紳士淑女」であるといっているわけではないですから、ストレート演出を好む「オペラファン」は排除されていないと思います。

そして今回の演出は、ワーグナーの音楽も台本もその美しさが損なわれずになされていたと思いました。それはオケや歌手の熱演にもよるものです。
人生のタイムリミット(?)や新しい人生(苦難?)の始まりを示す「デジタル時計」は、ちょっと詩情にそぐわない代物でしたけれど。

ワーグナーのオペラは人を非常に感動させる(扇情的な)力を持っているのだが、実は、パロディー化された途端どうしょうもない茶番劇に感じられてしまうのは私だけでしょうか?そもそも、モラハラダメ男と、自己犠牲大好き女のバカップルに回りが翻弄される話(それもまた人間の本質でもある)を音楽と舞台の盛り上げによって麻薬的感動を感じるものになっている、ととらえてます。この演出はまだ控えめなほうではありますが、ここぞと言う絶頂ポイントを茶化すようになっていて、エルザの祈りやローエングリン出現の瞬間など見事にお笑いになっていました。第三幕の初夜の場面もですね。もう、ワーグナーは演奏会形式でしか楽しめなくなってしまったのが残念です。飯守時代の新国立劇場のワーグナーがもう最後だったのか。びわこのリングはどうなんでしょう。残念ながら行けませんが。

>初めから読み替え演出だと分かっておれば、チケット購入しませんでした
>上記の一文は、ごく普通のオペラファンをないがしろにしている様で、言い過ぎだと思います

演出家が深作健太の時点で伝統的なオーソドックスな演出の訳がない
深作を誰か知らなくてもネットでググればその位はすぐ分かる筈
その程度の情報を得ようともしないで後で文句をいうのは恥知らずな話だな
念のため書いておくが俺自身は深作の映画は大嫌いなので彼の演出のオペラなどは最初から行く気もないw

オペラは、ワーグナーの言うように"総合芸術"です。彼のオペラを演奏会形式で聴くことは、ベートーヴェンに嫉妬しコンサートホールを諦めたという意思に沿いません。私も、クプファー(タンホイザー、ハンブルク来日公演)やウォーナー(新国のリング)で考えさせられましたけどね・・・。

オーソドックスなことする気がない

「私の親、バイロイトでパルシファルやってよ。て頼まれたら、みんなから”ごみ屋敷”と言われたの。一生懸命、親はみんながごみ片付けてと言われて一生懸命歌手の動く場所増やすために整理したけど早々に打ち切られたといって嘆いて相当落ち込んでいたよ。」
「あら、そんなにひどいこと言われたの?」
「うちの父さん、映画監督で「ドイツ三部作『アドルフ・ヒトラ―100年』『ドイツ チェーンソー大量虐殺』『テロ2000年』」世間にも世界的に知られていくようになったの。」
「あ、そうなんだ。でどういうの」
「Youtubeで、ユナイテッド・トラッシュを見てみればわかるよ。この映画の見せ場の一つが短く流れているの。」

「あ、そうそうバイロイトどうなったの。」
「最後まで叩かれて結局すぐにダメになってお蔵入りになったの。で親は病気になっていったのその後。」
「何の病気?」
「2008年に肺がんと言われたの。片肺を摘出したの。2010年の夏に亡くなったの。」
「そう。」
「だけど、バイエルンの歌劇場から仕事の誘いはあったんだよ。私の親の1つ年下のフランク・カストルフさんとは直接には面識ないけれど、ワーグナー生誕200年で”指輪”をやったの。もー、ぼろ糞に言われたわ。」
「叩かれてどうなったの。」
「5年間ちゃんとやったわ。その間にバイエルンの歌劇場から仕事が来たわ。」
「何するの?」
「ヤナーチェクの”死者の家”。」
「普通にやるのかしら。」
「行ってみれば、わかるわ。」
「うちの親、生きていたらもっと仕事舞い込んだかな?」
「そうよ。早く死んでしまうからよ。49歳で死んだから。これからだったのよ。もっと正体が明らかにできて認められていたのに。」

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