2020-04

9・13(土)大野和士指揮東京都交響楽団

  東京芸術劇場

 大野和士の指揮は、聴くたびに成長を重ね、大きくなっている。
 今日のR・シュトラウス・プログラムでも、音の構築の緻密さとニュアンスの豊かさや、標題音楽としての解釈の巧みさなどには、本当に感嘆させられた。
 先日モネで聴いた「ウェルテル」でも感じたことだが、音楽の「哲学」的な意味でのドラマトゥルギー感覚と、それをオーケストラから明確に引き出す力量――つまりこれはオペラを含む劇的な音楽を指揮する際に最も重要なことなのだが――を備えた日本人指揮者としては、彼は若杉弘に続く2人目の存在であり、あるいはすでにそれを超えた存在にあると言ってもいいかもしれない。しかも大野の指揮には、豊かなバランス感覚で全曲の統一性を感じさせる構築と、細部にまで神経を行き届かせた丁寧な音楽づくりがある。

 この日のプログラム、「四つの最後の歌」「二重コンチェルティーノ」「英雄の生涯」においても、そういった大野の見事な指揮が聴かれたが、その中でも最も強い印象を与えられたのは、彼が東京都響とともに創り出した弱音のすばらしさであった。
 たとえば「4つの最後の歌」の第3曲「眠りにつくとき」の中間部におけるハーモニーの柔らかさ、豊麗さ、繊細さと、ゆっくりと動く低音弦の微細な表情など、コンサートマスターの矢部達哉による適度な情緒を湛えたヴァイオリン・ソロともあいまって、これまでナマで聴いたいかなる演奏をもしのぐ美しさを感じさせたのであった(なお第2曲「9月」におけるホルンのソロもなかなかすばらしかった)。

 大曲「英雄の生涯」でも同様である。「英雄の伴侶」の最後、すべてが変ト長調のpppに収束していく中での、弦楽器群の動きがこれほど表情に富んでいて、それゆえ終結感をいっそう強く感じさせた演奏も稀であろう。作品の後半、「英雄の隠棲」あたりの叙情的な個所での精妙な美しさも、特筆すべきものであった。
 もちろん、良かったのは弱音ばかりではない。作品の標題性を重視した演奏上の演出も、さすがにオペラで経験を積んでいる大野だけあって卓越したものがあったし、なによりフレーズが強いアクセントによって際立ち、時には音楽が噛み付くような鋭さを示して劇的な力を遺憾なく発揮していた。

 矢部達哉のソロも「四つの最後の歌」同様に良い。もう少し甘さがあればさらに標題に忠実なイメージになっただろう(いつぞやのティーレマン指揮ウィーン・フィルの日本公演での演奏のように)が、これまで日本のオーケストラがこの曲を演奏すると、何故かコンマスは必ずと言っていいほどコンチェルトのカデンツァみたいに弾きまくることが多かったのに比べれば、充分に満足の行くものであった。

 「四つの最後の歌」では、緑川まりに代わって急遽登場したソプラノの佐々木典子が、ふくよかでスケールの大きな歌唱を聴かせてくれた。
 また「クラリネットとファゴットのための二重コンチェルティーノ」のソリストは、楽員でもある三界秀美と岡本正之で、2人がプログラムで述べているような標題性を感じさせるとまでは行かなかったが、この曲のユニークな洒落っ気を思い出させるには充分であった。
    音楽の友11月号

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