2020-04

9・11(木)クリスティアン・アルミンク指揮新日本フィル

  サントリーホール

 「衝動と死による償却」とポスターには書いてあるが、プレトークでは「愛と死による救済」とか言っていたような気もしたが――まあとにかく、そういったコンセプトによる選曲とのこと。

 とにかくこれはオーケストラの定期としては実にユニークなプログラムであり、第1部に「トリスタンとイゾルデ」の「前奏曲と愛の死」(ソロ:ナンシー・グスタフソン)、第2部に「中国の不思議な役人」全曲をおき、それぞれその前後にモンテヴェルディとジェズアルドの短いマドリガーレを1曲ずつおくという組み合わせである。各部の3曲ずつはいずれも切れ目なしに演奏され、その流れが非常に良い。
 マドリガーレでの声楽アンサンブル、ラ・フォンテヴェルデとリュートの金子浩はオルガンの下やや上手寄りに位置し、「中国の不思議な役人」でのコーラス、栗友会合唱団はオーケストラの後ろに位置する。――これだけ意欲的で面白い発想のプログラムは滅多に聴けないものだが、それでもやはり曲のせいか、客席にかなりの隙間ができている。こういった路線にこれしか客が来ないとすると、ちょっと心配になる。

 さて演奏だが、全体としてはやはりオーケストラの方に分があったか。
 ラ・フォンテヴェルデには鈴木美登里や櫻田亮ら名手の名が見られるが、なぜか各人がバラバラに歌っているような感があり、各声部の動きと絡みが非常に粗っぽく、聴いている方も落ち着かなくなってくる。特に前半は肌理が粗かった。オーケストラの演奏に入るとほっとさせられるという状態では、せっかくの意欲的なプログラムの価値も半減してしまう。

 アルミンクと新日本フィルの演奏は予想通り、「トリスタン」では清澄な音色、一切の贅肉を排した響きで、交錯する楽器群の線を鮮やかに描き出す。
 それはそれで一種の快感ではあるが、もしプラトニックなという表現をここで使うことが許されるならば、これは清い「純愛」を想像させるような演奏である。「愛の死」の最後の高揚個所でもイン・テンポを崩さず、あっさりと通過してしまう。これで「死による救済」といえるのかどうかと思うが、アルミンクの感性にとってはこれがそうなのだろう。

 新日本フィルも、いかにもこのオーケストラらしい「爽やかな」演奏であった。ソリストのナンシー・グスタフソンは、イゾルデらしからぬジェスチュアで歌うのが気になって仕方がなかったが、声の表現力は充分だった。

 バルトークの方は、さすがにアルミンクのもって行き方が冴える。これもドロドロした情感や、エロティックな誘惑のようなものを全く感じさせない演奏ではあるけれども――それが根本的にこの曲には合わないという意見も否定はしないが――このような脂気のないアプローチで描き出されたバルトークの音楽も、その構築をモダンな照明で浮き出させたような感じで、いつもとは異なる面白さがある。
 合唱に奇怪な恍惚感が不足していたのは、オケとのバランスから言えば、仕方がない。

 それにしても、新日本フィルの演奏は、相変わらず快調である。アルミンクが着任する以前の演奏のことを思えば、感無量である。
    音楽の友11月号演奏会評

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