2021-06

2017・12・9(土)新国立劇場 R・シュトラウス:「ばらの騎士」

      新国立劇場  2時

 新国立劇場の定番、ジョナサン・ミラーの演出、イザベラ・バイウォーターの美術・衣装によるプロダクション。
 2007年のプレミエ以来、2011年、2015年の再演を経て、これが4度目の上演になる。私もその都度観て来たが、よくまとまった美しいプロダクションであることは確かである。但し、その年の歌手陣や指揮者、あるいは当日の雰囲気などの面で、出来栄えにムラがあるのは致し方ない。

 今回はウルフ・シルマー指揮の東京フィル、リカルダ・メルベート(元帥夫人)、ユルゲン・リン(オックス男爵)、ステファニー・アタナソフ(オクタヴィアン)、ゴルダ・シュルツ(ゾフィー)、クレメンス・ウンターライナー(ファーニナル)、内山信吾(ヴァルツァッキ)、加納悦子(アンニーナ)、増田のり子(マリアンネ)、長谷川顯(警部)、晴雅彦(公証人)、水口聡(テノール歌手)ほかの出演。すでに何度か出ている人も多い。
 アタナソフの声に少し伸びがなかった━━ズボン役としての容姿はなかなかのものだったが━━ことを除けば、手堅い歌手陣だったと言えるだろう。

 この「ばらの騎士」、主人公は元帥夫人だ、いやオックス男爵だ、いやむしろオクタヴィアンだ、と論議が盛んだが、今回の舞台━━基本的に演出の問題だとは敢えて言わない、たまたまそういうバランスだったかもしれないので━━を観ていると、その3人とも、主役というには、あまり目立たなかったような気もするのである。
 確かにユルゲン・リンのように、愛すべきエロおやじ的オックスを演じて見事だった人もいたが、彼すらも第3幕中盤では、群衆の動きの中に埋没してしまう。

 言い換えれば、今回の舞台では、彼ら主役たちと、巧みな細かい生き生きした演技を見せる多数の脇役と助演者(黙役)たちとが同等に動き、それら全員による一種の人間模様のような体を為していたようにも感じられたのであった。
 これには、主役歌手たちの個性も影響しているかもしれない。あるいは再演演出担当の演出家の仕切りも影響していたかもしれない。
 俗な表現で言えば、人物整理の上で少々雑然たる舞台になっていたかな、という印象なのだが、そう言ってしまうと、ミもフタもなかろう。

 シルマーの指揮は、東京フィルをうまくまとめていた。オーケストラの音色に色気とか、洒落っ気がないのは、ピットにおける東京フィルの弱点だが、それでもたとえば第2幕最後のワルツ、第3幕最後の三重唱や二重唱などの個所では、いいR・シュトラウスぶしを聴かせてくれていたのである。

コメント

ウルフ・シルマーの指揮。初めて聴いたのは、1994年ウィーン国立歌劇場日本公演の”こうもり”。この時は、カルロス・クライバー指揮の”ばらの騎士”の公演もあった時代。シルマーが30代半ばだったころ。。

新国立劇場に時たま出演してくれることは、とてもいいことです。フィガロの結婚、エレクトラ、西部の娘、アラベラ、で今回の ばらの騎士。
まだワーグナーを日本で指揮していないですよね。指揮してほしいです。

リカルダ・メルベート(元帥夫人)、ユルゲン・リン(オックス男爵)、ステファニー・アタナソフ(オクタヴィアン)、ゴルダ・シュルツ(ゾフィー)、クレメンス・ウンターライナー(ファーニナル)それぞれ良かったです。2011年4月の再演時もダニエル・シンドラムのオクタヴィアンがキャンセルになったのは残念ですけど。。

2007年6月の新演出時は、ペーター・シュナイダーの指揮だった。トーマス・ノヴォラツスキー芸術監督時代の最後の出し物で大きな成功のものですよね。この人の敷いたシングルキャスト制のおかげで劇場の質が向上したことには違いがないと思います。
今は文化予算がより削られていく時代ですから、優れた演出を何度も繰り返し上演していく時代。レンタル演出も多いことがどこの劇場でも普通。

ウルフ・シルマーのような指揮者とその後を継ぐことのできる指揮者を継続的に振ってもらえる劇場に育ってもらいたいものです。

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