2021-06

2017・12・6(水)ワレリー・ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管弦楽団

      サントリーホール  7時

 10日間に1日だけ休みを置いての、計10回の演奏会、つまり1日はダブルヘッダーという、いかにもゲルギエフらしい並外れたスケジュールの日本ツアー。
 今日はその6日目で、リムスキー=コルサコフの「金鶏」組曲、ショスタコーヴィチの「ヴァイオリン協奏曲第1番」(ソリストは庄司紗矢香)、ベルリオーズの「幻想交響曲」。

 この中で、庄司紗矢香の弾いたショスタコーヴィチの協奏曲は、おそるべき集中力に満たされた圧倒的な緊迫の演奏であった。長いカデンツァからフィナーレにかけてはまさに彼女の独壇場であり、それは彼女の内なる声が生み出す凄絶な音楽の力の発露であったろう。私たち聴衆は、息を呑んで聴き入った。
 彼女はゲルギエフとの他の3回の演奏会ではチャイコフスキーの協奏曲を弾くが、それよりも、このショスタコーヴィチの協奏曲を聴けた人こそ、彼女の最高かつ最良の音楽を体験できたと言ってもいいのではないか。

 アンコールとして、彼女はバッハの「無伴奏パルティータ」第2番からの「サラバンド」を弾いた。その間ゲルギエフは、ステージ下手に立ったまま、じっと耳を傾けていた。
 コンチェルトを弾いたソリストがソロ・アンコールを弾いている時、その演奏を舞台にずっと残って聴き続けているのは、近年のゲルギエフの癖である。特に若いソリストの際には、必ずその演奏を聴いている。若手を支援するという彼の姿勢、偉いものである。

 ところで、ゲルギエフが指揮したこのショスタコーヴィチの協奏曲のオーケストラ・パートは、まさにロシア的な、濃厚な色彩感に満たされていた。ロシア音楽はロシア的に演奏するのだ、と言うのが、昔からのゲルギエフの信念だった。
 最初の「金鶏」など、これはもう彼の本領発揮だろう。また、アンコールで濃厚な色彩感たっぷりに演奏したストラヴィンスキーの「火の鳥」組曲からの「子守歌~終曲」も同様である。「ストラヴィンスキーは、リムスキー=コルサコフ門下のロシアの作曲家だった。私は彼をロシアの作曲家の音で演奏したい」とかつてゲルギエフが語っていたことを思い出す。

 一方、「幻想交響曲」のような作品になると、ゲルギエフの指揮は、一転して端整になる。昔よりその端整さが増し、かつてのいわゆる「怪物的な物凄さ」が少し薄れたように感じられるのは、やはり彼の年齢的な影響による変化か? だがオーケストラの鳴らし方は、相変わらず豪壮で力感豊かで、風格充分だ。

 今回のマリインスキー劇場管弦楽団は、昔のこのオケに比べればずっとインターナショナルな色合いを備えるようになっている(それはちょっと残念だ)が、音色には、あの頃のような、ビロードを思わせる滑らかな響きが復活して来たのが注目される。
 もちろん技術的には、めっぽう巧い。「若手が多くなったので、上手くなった。このメンバーを集めるために80人もオーディションをやったので、耳がくたびれてしまった」とは、楽屋でのゲルギエフの話。何年か前にもそんなことを聞いたような気がするが・・・・メンバーの入れ替えは相変わらず盛んなのか。
     ⇒別稿 モーストリー・クラシック3月号 公演Reviews

コメント

集中力

ツアー3日目、大阪のザ・シンフォニーホールでのプログラムは、ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」、チャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」(ソリストは庄司紗矢香さん)、「交響曲第5番」でした。「ヴァイオリン協奏曲」の第1楽章後、客席の後方から「ブラボー!」が。それにつられて拍手が沸き起こってしまいました。一瞬オケのメンバーの表情がひきつったようでした。それでも、庄司さんはひるむ事なく最後まで持てる力を出しきられての凄みある演奏でした。彼女の集中力は感動的でした。ただ、残念だったのは、客席前のオケのメンバーが演奏中に前後でお喋りなさってた事。明らかに、気持ちがそがれたような。あのフライングブラボーさえなければ、もっとこのオケらしい演奏が聴かれたかも、と残念でお気の毒でした。それでも、聴けて良かった!と思わせるような楽団ですね!

協奏曲の1楽章終了後に拍手やブラボーというのは、まま耳にします。さすがに、曲を知らないわけではないでしょう。
プロのソリストやオケの方は、そんなことで集中が切れることはありません。お行儀がよい日本人と違って、ロシアの人など、オケの前後で話をするのも普通の光景。
よい演奏だったのだと思います。気分をそがれたのは、書き手の気持ちの方が強いと思います。コンサートにハプニングはつきものと、あまり気にしない方が楽しめるというのが私の意見です。

読者さんのコメント、確かに気分がそがれたのは、自分の方だったかもしれないです。貴重なコメントを有難うございました。

玲子さん、恐れ入ります。お返事ありがとうございます。
静かに終わる間際のフラブラは、決してよいことではないと思います。しかし、そんなバカたれのために、よい演奏の記憶を台無しにしてしまうのはもったいないことと私は思っています。
ソリストが熱演した第1楽章や悲愴の第3楽章などで、たまに起きるフラブラ。外国人客などは、よいと思った演奏に感動の拍手をして何が悪いと思っている様子です。演奏者への迷惑行為は論外ですが、いらいらしないで、ご愛嬌と鷹揚にかまえる方がお得です。

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