2021-06

2017・11・7(火)アンドリス・ネルソンス指揮ボストン交響楽団

     サントリーホール  7時

 ボストン交響楽団が音楽監督とともに来日するのは、わが小澤征爾とともに1999年に来日して以来、実に18年ぶりである。
 ボストン側でもそれをかなり意識しているらしく、ボストンのFM放送局が一緒に取材に来ていて、日本ではオザワ=ボストンがどう受け取られていたか、今の日本でボストン響が注目されるとすればどんな点に対してか、などについて、開演前にホワイエの片隅でインタビューを受ける羽目になってしまった。

 今日は日本公演の4日目、ギル・シャハムをソリストに迎えてのチャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」と、後半にショスタコーヴィチの「交響曲第11番《1905年》」。

 またアンコールにはショスタコーヴィチの「モスクワのチェリョムーシカ」からの「ギャロップ」と、バーンスタインの「ディヴェルティメント」からの第2楽章という、これはまた珍しい小品を演奏してくれたが、その演奏が実にヴィヴィッドである。来日オケがありふれた名曲ばかりでなく、もっとこのようにオーケストラの個性と、若い世代の指揮者の個性を生かしたこのようなレパートリーで一夜のプログラムを構成してくれれば、若い世代の聴衆ももっと聴きに来るのではないかと思うのだが━━。

 さて、ギル・シャハムの演奏が、とてつもなく面白い。昔から個性的な演奏をする人だったが、最近は音色にも濃厚な色気のようなものが加わって来て、それが僅かの乱れもないテクニックの裡に完璧に生かされるのだから、演奏は不思議な煌びやかさに満たされる。
 しかも第1楽章など、変な言い方だが、彼は全ての音符の間に全く切れ目を入れず、つまり句読点を意識的に排した文章のように演奏する。といってレガートな演奏というのではなく、どの音符もメリハリよく粒立っているという、この不思議な奏法━━。その結果、音楽が、良くも悪くも非常に饒舌になる印象を与えるのである。チャイコフスキーのこのコンチェルトのイメージを一新させてしまった演奏である。
 彼のソロ・アンコールは、バッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ」第3番からの「ガヴォット」だった。

 ショスタコーヴィチの「1905年」は、いかにも「戦争を知らない世代の指揮者の」演奏という感である。ボストン響が巧いし、パワーもあるから、スペクタクルな演奏にはなってはいたが、しかしこの演奏からは、1905年のペテルブルクの「血の日曜日」という歴史的イメージはあまり浮かんで来ないのではないか。ゲルギエフやインバルが指揮した時の、あの悪魔的な凄さが、ちょっと懐かしくなった。

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