2021-06

2017・10・29(日)河瀨直美演出 プッチーニ:「トスカ」

      東京芸術劇場 コンサートホール  2時

 映画監督の河瀨直美が「トスカ」を演出するというのが、最大の興味だ。演出補として菅尾友の名が入っているものの、他分野の演出家がオペラの舞台を手がけるという試みは大いに歓迎したい。
 但し、オペラの慣習に妥協せず、自らの手法を徹底的に貫ければ━━だが。そこにちょっとでも遠慮があれば、それは途端に中途半端なイメージになって露呈するものなのである。

 今回の「トスカ」は、物語の場面を、古代日本に置き換えた。
 ステージには、社をかたどった大きな装置(柴田隆弘、重松象平)が置かれ、背景に富士山が浮かび上がり、堂守がそれに向かって、神道の儀式「二礼二拍一礼」を繰り返す。
 字幕にも「神官」とか「神々」といった訳語が現われる。複数の「神々」は、唯一絶対の神のキリスト教思想にはなく、ギリシャ神話か古代ゲルマン神話、日本の「八百万の神」思想などのものであることは周知のとおり。従って今回の舞台は、教会でなく「神殿」になる。
 悪役スカルピアは、警視総監ではなく、「新勢力の親衛隊長」と称され、圧迫される人々は「シャーマン」であり、トスカは「村娘」であるという。

 登場人物の名も、日本名を組み合わせたものになっている━━トス香(トスカ、ルイザ・アルブレヒトヴァ)、カバラ導師・万里生(マリオ・カヴァラドッシ、アレクサンドル・バディア)、須賀ルピオ(スカルピア、三戸大久)、アンジェロッ太(アンジェロッティ、森雅史)、堂森(堂守、三浦克次)、スポレッ太(スポレッタ、与儀巧)、シャル郎(シャルローネ、高橋洋介)・・・・といった具合。

 これは先頃の「フィガロの結婚」でも採られた命名法でもあるが、あのユーモア性の強いオペラと違い、何しろ「トスカ」は生々しいシリアスなヴェリズモのオペラである。緊迫したドラマが繰り広げられているさなかに、「カバラ導師を連れて来い」とか「行け、スポレッ太!」(正確な引用ではないかもしれないが)などという字幕が出ると、何だかずっこけてしまう。
 ローマを「牢魔」、アッタヴァンティを「熱田ヴァンティ」などとしながら、「ファルネーゼ宮殿」をそのままにしてあるのも中途半端だ。
 どうせ歌唱はオリジナル通りイタリア語でやるのだし、それなら名前もやはり全部オリジナルのままでやった方が、よほどすっきりするのではないか。二番煎じはうまく行かぬものだ。

 当然ながら、映像も使用される。第2幕で、スカルピアの残虐な想念が渦巻く瞬間には怒涛と水の動きが投映されるが、切り裂くように割って入るその映像は、ところによっては効果的だ。だが、悲劇の瞬間における華麗な花火は、どうみてもイメージ的に納得が行かぬ。
 最終場面では、音楽が暫時止まり、オリジナルに無い短い歌が挿入され、紗幕の向こう側にトスカが太陽に向かって飛び去って行く━━というより、のんびりと遊泳して行くような━━という映像に変わる。ここで物語は一気に幻想の世界に転じることになるのだが、その手法自体はともかく、ヴェリズモ・オペラをファンタジーで結ぶというのは、唐突過ぎて些か腑に落ちない。その前にさまざまな「幻想的な」伏線が置かれていたのなら、まだ説明がつくだろうが。

 演技は、第1幕ではオペラの様式的なパターンが見られ、映画監督らしい手法が発揮されていないのに不満が残ったが、それでも第2幕では、映画らしい「手荒な」演技も見られた。また、「須賀ルピオ」にパワハラされて反感を抱く「スポレッ太」が、「トス香」と「カバラ導師」に同情的な行動をとるとか、「歌に生き、愛に生き」に聞き入っていた「須賀ルピオ」が一瞬だが心を動かされるとかいった解釈は面白いだろう。だが総じて演技の面では、さほどの目新しい特色は見られない。

 結局、河瀨直美の演出は、このヴェリズモ・オペラを、シリアスなドラマとして捉えるのか、あるいは最終場面に象徴されるファンタジーの世界として捉えるのかが━━舞台装置などからすれば、どちらかといえば後者に近いような印象だが━━未だ何か手探り状態にあるように思われる。もうひとつ徹底したものが欲しい、といった印象なのである。
 場面状況の読み替えにしても、名前を変えたりするような小細工ではなく、もっと基本的な面での、画期的な発想が欲しかった。たとえば、「ノルマ」の舞台を、反乱軍のアジトの教会に置き換えたような大胆な発想(シュトゥットガルト上演)があれば、良かれ悪しかれ、もっと話題を呼ぶオペラ上演ができたであろうに、と思う。

 演奏は、広上淳一指揮東京フィルハーモニー交響楽団に東邦音楽大学合唱団、TOKYO FM少年合唱団。舞台手前の特設オケ・ピットにずらり並んだ大編成のオーケストラを、広上は極めて劇的にごうごうと響かせたが、2階席で聴いた範囲では、歌とのバランスは全く無理だ。オケの音が大きすぎるという意味ではない(そもそもオペラは、このくらいオケが鳴らなければダメだ)。
 問題はやはり、このホールで上演する作品の選定にあるのではないか。さまざまな作品を手がけたいという意欲は解るが、オケ・ピットの問題を含むホールの特質に合ったオペラを選ぶことも肝要ではないかと思う。もしくは、かつてパリ・オペラ座が「ボリス・ゴドゥノフ」の時に試みたように、オーケストラをステージ奥に持って行くといった手法を考えるか、だ。

 これは「東京芸術劇場コンサートオペラ」のシリーズではなく、「平成29年度全国共同制作プロジェクト」と題されたもの。既に新潟での上演を終り、このあと12月にかけて金沢、富山県魚津、沖縄でも上演される。東京と金沢公演は広上淳一が指揮し、その他の地では大勝秀也が指揮する。オーケストラと合唱団には、一部を除き、それぞれ地元の団体が起用される。

コメント

掛け持ち

演出補の菅尾さんは、ご自身が演出された関西二期会の「魔弾の射手」の初日が10月下旬にあったようなので、トスカには充分な時間が割けなかったのではと推察します。
ちなみに愛知の「ばらの騎士」でも、指揮者のワイケルト氏は一度もピアノ伴奏での立ち稽古に来なかったとか。
皆さんお忙しいのでしょうが、舞台というものを軽く見ているような最近の風潮が少し気になります。

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