2018-09

2017・10・8(日)みつなかオペラ プッチーニ:「妖精ヴィッリ」「外套」

      川西市みつなかホール  4時

 阪急の川西能勢口駅から徒歩数分、みつなかホールで行われている「みつなかオペラ」。
 2年前の「ノルマ」の時(2015年9月20日)に初めて訪れたのだが、その上演水準の高さに驚き、また聴きに来たいと思っていた。

 2005年以降はイタリアオペラのシリーズを集中的に組んでおり、特に2010年以降はドニゼッティ、ベルリーニの作品を各3年連続で上演、今年からはプッチーニに入っている。有名作のみにとどまらず、滅多に上演されないレパートリーをも積極的に取り上げているのは、客席数500以下という「小規模劇場」だからこそできる小回りの良さゆえではなかろうか。大変立派なことだ。四半世紀にわたり継続して来ている点でも、見上げた活動と言うべきである。

 今年は第26回公演。プッチーニの最初期のオペラ「妖精ヴィッリ」と、後期のオペラ「外套」を組み合わせての、2本立て上演だ。
 演奏は、牧村邦彦指揮のザ・カレッジ・オペラ管弦楽団。オケ・ピットは小型で、30人ほどしか入らぬそうだが、それを豊かな音にするよう巧く解決しているのが、スコア・リダクションという手法の由。倉橋日出夫が毎回担当しており、これは全く見事な手法である。オーケストラのつくり出す劇的な盛り上げも目覚ましかった。
 牧村邦彦の指揮も、ザ・カレッジ・オペラ管弦楽団も、すこぶる聴き応えのある出来だった。欲を言えば「外套」の幕切れ、ミケーレが妻ジョルジェッタに不倫相手の死体を見せつけるシーンに持って行く直前のオーケストラに、もう少し不気味な盛り上げが聴きたかったところではあったが。

 公演は2日でダブルキャスト。今日は初日で、出演者は━━
 「妖精ヴィッリ」が内藤里美(アンナ)、小林峻(ロベルト)、森寿美(グリエルモ)、みつなかオペラ合唱団、法村友井バレエ団(4人)。
 「外套」が桝貴志(ミケーレ)、並河寿美(ジョルジェッタ)、松本薫平(ルイージ)、片桐直樹(タルバ)、福原寿美枝(フルーゴラ)、谷口耕平(ティンカ)、西上亜月子・矢野勇志(恋人カップル)、岩城拓也(流しの歌手。合唱指揮者でもある)。なお、合唱団も冒頭に黙役の「セーヌ河畔にたむろする群衆」として出ていた。

 今日の出来では、やはりまず並河寿美が、歌唱・演技ともに存在感充分で光っていた。また桝貴志も陰にこもった凄味を後半にかけてぐいぐいと盛り上げて行き、福原寿美枝と片桐直樹がベテランらしく力のある歌唱と演技で脇を固める。松本薫平も、声の荒れが少し気になったのを除けば、「まじめだがひたむきなルイージ」に相応しい出来を示した。
 小林峻は、道を踏み外したロベルトを大熱演。内藤里美は前半少し硬かったものの、素晴らしく綺麗な声が魅力的である。

 演出は井原広樹、装置がアントニオ・マストゥロマッテイ、照明が原中治美。トラディショナルな写実主義的な舞台だが、まとまりはいい。
 「妖精ヴィッリ」では、合唱をかなり派手に活躍させており、終場面でも大集団の精霊として踊り狂わせる、という手法を採っている。
 このラストシーン、裏切られて死んだ女の怨霊が・・・・という場面で、もう少しオカルト的な怪奇さが━━「源氏物語」の六條御息所のような不気味さが出ていれば、と思うのだが、今回はアンナの亡霊が下手側から歩いて登場したり、ロベルトと「二重唱的」な構図を繰り広げたりするなど、いかにも「オペラ的」な綺麗さにとどまっていたのは少々惜しい。合唱団が演じた精霊たちの不気味なはずのダンスにも、むしろコミカルな雰囲気を生じさせてしまったのではないか。

 一方、「外套」では、背景と舞台における美しい照明のもと、人物関係とその動きも含め、極めて凝縮したドラマが展開され、あらゆる面で成功を収めていた。昨年6月に関西二期会が上演した「外套」でのマルチェッロ・リッピ演出と比べると、ラストシーンのスリリングな緊迫感には格段の差があり、特にこの場面での、不倫相手の死体を夫から見せつけられ、恐怖に怯えるジョルジェッタ(並河寿美)の良い意味での大芝居も、抜群の衝撃的効果を生み出していた。

 この団体の優れた活動は、もっと日本中に知られていいだろう。休憩20分ほどを挟み、6時35分頃終演。

 なお、ブラヴォーの声(複数)は、何となく歌手の関係者たちのようで、景気づけにはなるものの、サクラじみてわざとらしく、煩わしい時がある。「外套」の凄味ある幕切れで最後の音にかぶせるようにブラヴォーを喚いた御仁は如何にも非常識極まりなく、ドラマの余韻をぶち壊した。

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33年の違い

「妖精ヴィリ」を観るのは初めてでしたが、「外套」とのダブルビルで聴くと、完成度がいまいちの処女作と晩年の境地の格差に驚きます。歌い手では並河寿美さんが素晴らしかったですね。いくつもの役を聴いていますが、このジョルジェッタはまさに填まり役と感じました。彼女の声質にぴったりで、心情表現も見事です。つい先日、この人のミミを聴いたばかりなので、この「外套」に「ボエーム」の引用が出てくるところでは思わずニヤリとしてしまいました。他のキャストも充実していて、「外套」の真価が伝わる公演でした。幕切れの松本薫平さんの階段落ちには驚きました。よく見ると、幅2mぐらいは階段の角にクッション材が貼られていたようでしたが、4段だけとはいえ怪我のリスクもあるし、オペラ歌手も体当たり演技で大変ですね。

ブラヴォーの声の主の内、実は一番目立っていたのは某有名演出家の方です。その他、関西気鋭の若手テノールの方などもいらっしゃったように記憶しています。確かに大変すばらしい公演であったのですが、あまりに大声で連発されると、東条先生のおっしゃるように、かえって雰囲気を壊してしまい、残念な結果になってしまったと私も同感しました。ただ、この公演に関しては、先生のご指摘のとおり、仲間への温かい気持ちも垣間見られ、結果的に、大変素晴らしい評価につながったことと思います。
 しかし、この公演とは別に 近年、東京を中心に、過剰なブラヴォーが公演を壊したり、味気ないものにしてしまうことが多発していることは、現在の音楽界における、最も大きな問題である思います。中でも、ブラボーフリーク、とでもいうのでしょうか、公演の度に独りよがりな特定の人物が大騒ぎをして迷惑をかけることが頻発しています。この内、ある総白髪の老人は「ぶらあーーぼーーーー」などと、おそらく、外国の演奏家が聞けば、ふざけている、あるいは馬鹿にしていると思われても仕方ない声を連呼したり、何度もフライングをして、現場の聴衆や演奏家に迷惑をかけるのみならず、録音にも多大な汚点を残し、録音物の商品化もできない状況にしてしまうなどの行為を多く働いており、度々、トラブルとなっているようです。その他の人々についても、残念ながらミスの多かった演奏者に何度も声をかけ、凡そ、自分はわかっていませんと主張しているようなブラヴォーも大変増えてきています。また、近年、拍手に関しても、ロックや歌謡コンサートなどでおこなわれるのでしょうか、左の掌を右手の指で力いっぱい叩き、強い高音を意図的に出そうとする聴衆が、若い世代や団塊の世代を中心に相当に増えています。こうした音は周囲の聴衆の耳にかなり強烈な、キンキンする刺激を伴う嫌な音となり、お金を払って芸術音楽を聴きに来た聴衆に非常に嫌な思いをあたえるものとなっています。以上のような行為をしてしまう人々はおそらく、一所懸命ブラヴォーや拍手をすれば、自分の感動が演奏家に伝わる、という単純な発想なのでしょうが、周囲の状況や迷惑を考えることのできない、浅慮な発想であるし、とても客観的、あるいは深慮な感性や感覚、考察や判断をもってクラシック音楽を聴いている、とは言えないと思います。心ない、理解に欠ける聴衆が目立ちつつあるクラシック界ですが、興行元、演奏家、各ホールの、こうした聴衆への対応は、演劇界などに比べると、状況の把握や考察のレベルでも相当立ち遅れているようです。こうした問題への対応力、あるいは、良い聴衆を育ててゆく力が今後の音楽界には必要であると考えています。

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