2020-04

9・5(金)ティエリー・フィッシャー指揮名古屋フィル

   愛知県芸術劇場コンサートホール

 名古屋フィルの新常任指揮者、ティエリー・フィッシャーの評判がすこぶる高いので聴きに行ってみた。
 スイス生れ、51歳、BBCウェールズ・ナショナル管弦楽団首席指揮者との兼任(このオーケストラの桂冠指揮者は尾高忠明である)。以前はハンブルク州立歌劇場などのフルート奏者だった由。なるほど、1984年の同劇場来日公演のプログラムを引っ張り出して見たら、メンバー表に「ティールリー(!)・フィッシャー」という名前が載っていた。

 噂にたがわず、好い指揮者である。隈取りの明確な、引き締まった音楽をつくる人で、ちょっとクリスティアン・アルミンクを連想させるクールなところもあるが、彼よりは音楽の表情がもう少し温かく柔らかく、ロマンティックな感性もやや強いかとも思われる。
 休憩後に演奏された「ダフニスとクロエ」全曲など、大編成のオーケストラを楽々と鳴らして、豊麗かつ豊満な音色を存分に展開してくれた。

 第1部の2曲目におかれた武満徹の「ファンタズマ/カントス」は、これはもういかにも外国人指揮者によるタケミツといった感じで、メリハリの非常に強い、時に剛直な面さえ感じさせる演奏。
 作曲者の言う「日本庭園の情景の変化」に従えば、沈潜した光景の中にも時に湧き上がる不動の力があり、しかもその移り変わる景観の一つ一つに明確な区切りが付けられている、という印象なのである。
 私は日本人指揮者による「武満」演奏におけるような、なだらかで瞑想的な美を感じさせる演奏も懐かしくて好きだが、このように外国人が感じる「武満の美」の表現も、新鮮に感じられて好きだ。ただし、クラリネット・ソロは亀井良信。

 プログラム冒頭には、メシアンの「キリストの昇天」。ここでもフィッシャーは、音を明確に縁取りして響かせる。金管、次に木管、やがて弦、と音色が次第にふくらんで来る過程でのオーケストラの鳴らし方もすこぶる巧い。ジャン・フルネが都響を振った時に聴かれた一種の陶酔感のようなものはここにはないけれども、それはないものねだりというものであろう。

 この3曲のプログラム、音楽の性格の上で、実に巧く繋がっている。コンセプトとしても見事に設計された選曲だ。
 それはいいのだが、実際に続けて聴いてみると、特に第1部では、ほぼ同系統のゆっくりしたテンポ(感覚の上でだが)が正味40数分、この間ずっと緊張感を保ち続けるのは、いささかの心理的重圧を免れぬ。しかも「ダフニス」にしたところで(音楽の細かい動きはあるけれど)緊張を解放するような速いテンポとフォルティシモは、40分の全曲中でも数えるほどしかないのだ。あまり巧すぎる選曲も、時にはよしあしか。

 名古屋フィルは、実に多彩な音色をもつオーケストラになった。メシアン冒頭の金管のコラールなど、なんと均整の取れた響きかと感嘆する。ただし弦が、速いパッセージではそう目立たないのだが、遅いテンポでじっくりと歌う個所などで粗さがあるのが惜しいところだ。しかし、最後の「ダフニスとクロエ」では、大体うまく行っていた。細かいところではいろいろあったが、多分2日目の演奏では改善されるたぐいのものだろう。

 「のぞみ」が満席なので、「ひかり」で帰京。

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