2021-06

2017・8・31(木)ロイヤル・オペラ・シネマシーズン「オテロ」

      東宝東和試写室  6時

 9月8日から東宝東和の配給により各地の映画館で順次上映が開始される英国ロイヤル・オペラのライヴ映像、ヨナス・カウフマン主演のヴェルディの「オテロ」の試写を観る。今年6月28日に上演されたもの。上映時間3時間26分。

 カウフマンは、オテロ役は今回が初である由。ドイツオペラでなくイタリアオペラの「ヘルデン系」の役柄であり、彼がどんな風にこなすかというのが注目の的だったが、これはなかなかに見事なもので、ドラマティックな力の中にも、非常に細かい心理描写的な歌唱と演技を繰り広げていた。
 彼はインタビューの中で、「パッパーノの指揮だからオテロをやることにした」という意味のことを語っていたけれども、事実、そのアントニオ・パッパーノが、一つ一つの音符から微細な心理の綾を読み解き表現する指揮に徹しているので、カウフマンもそのコラボレーションによりこのようなオテロ像をつくり上げることができたのだろう。

 近年のパッパーノのアプローチは、どんなオペラの指揮においても、オーケストラや歌のパートのすべてから、作曲者が意図した心理表現を再現することを主眼としているように思われる。そういう点でこの「オテロ」は、晩年のヴェルディがついに到達した見事な心理描写的オペラとして、パッパーノの意図が全面的に生きる作品と言えるだろう。

 まあ確かに、これほど念入りにじっくりと演奏された「オテロ」は、稀かもしれない。そのため、随所でテンポは猛烈に遅くなる━━オテロの苦悩が沈潜して歌われる個所や、最後の「オテロの死」などの個所では特にそうだ━━のも当然であろう。これほどテンポを落さなくたって微細な心理表現は可能だろうに、という気もするのだが、それがパッパーノの美学とあれば仕方がない。

 ともあれ、その彼の指揮と、それと同じくらいニュアンスの細かいキース・ウォーナーの演出とに、カウフマンと、ヤーゴ役のマルコ・ヴラトーニは、完璧に近い形で応えていた。
 カウフマンの演技は、ドミンゴのそれに比べ、劇的な激しさは及ばぬものの、微細な性格表現においては勝るとも劣らないものだろう。
 一方ヴラトーニャは、スキンヘッドで凄味を利かせ、眼を不気味に光らせて、幕を追うに従い凶悪な表情を増して行くのがいい。この人は2013年10月に新国立劇場の「リゴレット」の題名役で観たことがあるが、その時は演出━━クリーゲンブルク、あの「ホテルでのリゴレット」だ━━のせいか、もしくは初日だったせいか、舞台に緊迫感が乏しく、いきおい彼にも迫力がなかったが、今回は出色の出来だ。
 デズデーモナはマリア・アグレスタ。演技はまあ並み程度だが、「アヴェ・マリア」などでの歌唱は、聴かせた。

 演出のキース・ウォーナーは、このオペラの黒幕をヤーゴに設定し、全曲の幕をヤーゴの合図で開けるという手法を採り、これは面白いと思わせたが、そのわりには、そのあとはどうということはないままに終った。インタビューでウォーナーは「ヤーゴはそのあとは傍観者に変わる」と言っていたが、そりゃァちょっとウォーナーさん、方便的な謂いようじゃありませんか? 
 しかしとにかく、彼のドラマトゥルグのニュアンスの微細さは、疑うべくもないレベルにある。見慣れたオペラに新しい視点を設定しようと試みる姿勢も、当然のことだが、立派なものだ。

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