2021-06

2017・8・24(木)「」の会コンサート「神々の黄昏」ハイライト

      北とぴあ つつじホール  7時

 時差ボケと気温差ボケに堪えつつ、日本のワーグナーを聴きに出かける。

 「」の会━━の「わ」とは、ワーグナーの「ワ」、「指環」の「環」、メンバーの「和」。日本のワーグナー上演で活躍している歌手たちが集まり、ワーグナーの作品を「手軽な形で紹介」するという狙いのコンサート。これが第4回になる。
 今日は「神々の黄昏」の抜粋が演奏された。選曲されたのは、前半に、序幕の「二重唱」から第1幕の「ギービヒ家の場」までと、後半に「ジークフリートの回想」から全幕大詰めまで。

 出演は、池田香織(ブリュンヒルデ)、片寄純也(ジークフリート)、大塚博章(ハーゲン)、友清崇(グンター)、小林厚子(グートルーネ)という顔ぶれに、ギービヒ家の家臣役として宮之原良平、寺西一真、櫻井航、松澤佑海。ピアノが木下志寿子。会の代表でもある城谷正博が流石の暗譜指揮だった━━彼は「ジークフリートのラインへの旅」と「ジークフリートの葬送行進曲」の部分で、木下と4手でピアノをも弾いていた。

 木下志寿子のピアノはいつも雄弁で、この種の演奏会には欠かせなくなった存在だろう。今日も、例えばジークフリート暗殺の個所で、最強音とパウゼが交替するあたりの緊迫感など、見事なものであった。
 ただ、オペラのオーケストラ・パートのピアノ編曲版の演奏でありがちなことだが、内声部を含めたすべての音符の動きが均等な強さで弾かれてしまい、曲が雑然とした感じになってしまうことがある(例えば「ブリュンヒルデの自己犠牲」の序奏個所など)。オーケストラの場合には、主力となるモティーフが常に浮き出して聞こえるだろう。そのイメージで弾いてもらえれば、と愚考するのだが如何?

 なかなか大がかりな抜粋上演で、歌手たちもいつも通り、本格的な歌唱と力演を示して、聴き応えがあった。特に「ブリュンヒルデの自己犠牲」を歌った池田香織の力と風格に富んだ明晰な表現は傑出していた。昨年、東京二期会公演でのイゾルデで聴衆の舌を巻かせた彼女は、いよいよ日本の代表的なワーグナー歌手に成長して来ているようである。

 この「」の会公演で、以前使われたHAKUJU HALLや、すみだトリフォニーの小ホールは残響が長かったので、耳がビリビリするほど声が響いていたものだったが、今日のつつじホールは、意外に声が客席に響いて来ない。そのためか、今日の歌手陣、歌唱全体に空間的拡がりと色合いが不足気味になり、しかも声のちょっとした粗い個所ももろに露呈されてしまっていたのは、残念であった。

 簡単な演技も加えられていた。が、セミステージというものは、それを本格的な舞台上演に近づけようとすればするほど━━つまりあまり演技を具体的にしたり、小道具を使い過ぎたりすると逆に中途半端な舞台という感が強くなり、詩情を損なうことになりかねないものだ。そこそこシンプルに、抽象的に、イメージをかき立てる程度にとどめておいた方が無難であろう。最後のジークフリートの火葬場面などでは、特にそういう感を強くさせた。

 字幕は吉田真。簡素で解り易い。彼自身も最後に黒い帽子と黒いコートを着け、ヴォータン役として登場、クプファーの演出ばりに折れた槍を持って出て来て、それをジークフリートの火葬壇に投げ込むというシーンを演じた。
 ヴァルハルにいるはずのヴォータンがこんな場所に出て来るというのはチト不思議だが、まあそれはよかろう。彼は長身だし、舞台姿も結構サマになっていたが、しかし何となく、ヴォータンというよりは「魔弾の射手」に出て来る悪魔ザミエルみたいに見えて━━。
      →別項 音楽の友10月号 Concert Reviews

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