2017-11

2017・7・16(日)ジョナサン・ノット指揮東京交響楽団

     ミューザ川崎シンフォニーホール  2時

 細川俊夫の「嘆き」と、マーラーの「第2交響曲《復活》」が演奏された。これは、なかなか機微に富んだ組合せではないかと思う。「嘆き」は、作曲者の意図によれば、津波でわが子を失った母に捧げられた作品であり、「復活」は、改めて言うまでもなく、最終楽章で「死せる者は蘇る」と歌われる交響曲である。

 ただし、「嘆き」で使用されている歌詞は、第1次世界大戦時に世を去った詩人トラーケルのもので、細川はこれを大震災の津波の犠牲者を悼む意味に重ね合わせている。そしてこの曲はザルツブルク音楽祭からの委嘱で、ソプラノと管弦楽のための作品として書かれ、デュトワ指揮N響により2013年に同音楽祭で初演されたが、そののち、藤村実穂子(メゾ・ソプラノ)のために一部改訂された。今日演奏されたのは、その藤村がソリストを務めた版である。

 だが、彼女が歌ったことで、この作品のイメージは、まさに大きく変わったと言ってもいいのではなかろうか。それは実に並はずれて深みのある、スケールの大きな歌唱であり、そのため、作品全体に身の毛のよだつような凄味があふれる結果となった。彼女の深々と響く声は、時には大編成のオーケストラをさえ圧倒したのである。

 一方、オーケストラはマーラーの「大地の歌」の終楽章冒頭にも似た重々しい響きで開始され、暗く波立ちながら大きな起伏を繰り返す。管楽器による「吹き抜ける風の音」など、細川俊夫特有の語法により進められて行った。その重量感に満ちた慟哭は凄まじく、これは聴き応えのある作品であった。

 後半はマーラーの交響曲「復活」。
 音楽監督ジョナサン・ノットと東京響の最近の充実ぶりを示すように、一分の隙もなく堅固に構築された演奏となった。鋭い強弱の対比や、音響の激烈さは見事なほどだが、その半面、どろどろした情念の爆発や沈潜といったものは一切排除されている。こういうソリッドな演奏は、近年のマーラー演奏の一つの典型的なタイプと言えるのだろう。音響的には極めて立派だが、決して酔うことのないマーラーなのである。
 いや、もっとも、今ではこういうダイナミズム優先のマーラーに陶酔する聴き手も多いようだから、既存の感性だけを基準にしてあれこれ断じてしまうのは、危険かもしれない。

 コンサートマスターは、グレブ・ニキティン。「復活」での声楽ソリストは天羽明惠と藤村実穂子で、指揮者の方に顔を向けて上手側に(つまり斜めに)位置。この配置は、第5楽章では良し悪しを生んだかもしれない。だが第4楽章での藤村のソロはやはり圧倒的であった。そして第5楽章では、天羽の歌い出しが、コーラスの中からゆっくりと浮かび上がって来るようなこの曲本来の効果を巧く再現していた。合唱は東響コーラス。
 また今回は第5楽章で、ステージ外で奏されるバンダが、その都度あちこち異なる位置から━━多分フロアの位置も変えて━━響いて来るのが、面白い効果を生んでいた。

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