2017-09

2017・5・24(水)ロイヤル・オペラ・ハウス・ライヴ「蝶々夫人」

      東宝東和試写室  6時

 3月30日に上演されたプッチーニの「蝶々夫人」のライヴ映像。
 東宝東和の配給で、一般公開は26日(金)からの由。上映される都市も、以前よりもかなり増えて来たようである。ただ、松竹の「METライブビューイング」に比べて広報の情報量が少ないので、上映期間や上映内容を知るには、当面は主として東宝東和の公式サイトを頼りにするしかないようだ。

 演出は、パトリス・コーリエとモーシュ・レイゼルのコンビ。
 概して写実的でシンプルなスタイルだが、軽薄で無責任な性格が強調されたピンカートンと、良識のある米国領事シャープレスとの対比を巧く描き出している演技構築はなかなかいい。自決した蝶々さんが最後に子供の方へにじり寄って行く際の身体の動きに、蝶々のイメージを与えたのは━━美しいと言えば言えぬことはないが、少々わざとらしく、やり過ぎの感も否めないようで・・・・しかしこれは好みの問題だろう。
 Christian Fenouillatによる舞台装置がシンプルながら「日本的なイメージによる洋間」という感を与え、極めて美しい。

 指揮はアントニオ・パッパーノ。テンポもデュナミークも起伏が大きく、沈潜した個所では極度にテンポを落し過ぎるのが気になるけれども、劇的な構築には事欠かない。
 題名役のエルモネラ・ヤホは歌唱も素晴らしく、素顔も美人だが、今回のメークは歌舞伎のそれのようで、遠目に見ればそれなりに効果があるのかもしれないが、アップになると大変不気味なのが問題だ(考えてみると、METのライブビューイングでは、こういうメークの女声歌手は一人も見たことはなく、アップに堪えるそれなりの配慮がなされているのだろう)。

 スズキ役のエリザベス・デショングも好演、シャープレス役のスコット・ヘンドリックス、ゴロー役のカルロ・ボッシは手堅い出来というところだが、ピンカートン役のマルセロ・プエンテは高音域に無理があったようで、カーテンコールにも微かにブーイングが交じっていたようだ(METだったら、お客さんは甘いから、この程度ではブーなど出さないだろう)。

 上映時間は、休憩は別として3時間弱。インタビューもあり、解説もある。
 なお解説者が、プッチーニが日本の旋律を多数引用した話をした後で、「アメリカの曲も使っていますね━━《Stars and Stripes》とか」(字幕にも「星条旗よ永遠なれ」と出た)と言ったのは明らかに間違い。使われているのはそのスーザの行進曲ではなく、アメリカ合衆国国歌「The Star-Spangled Banner」(「星条旗」、1780年作曲の「天国のアナクレオンへ」が原曲)のほうでしょう。
 これはしばしば間違えられる。解説者も「Stars and Stripes Forever」という正式題名のうち最後の「Forever」を口ごもって言わなかったのは、自分でも途中で「あれ?」と思ったのかもしれない(そんな顔をしていた)。

 もっともプッチーニがこの曲を引用した時━━「蝶々夫人」の作曲は1901~03年である━━「星条旗」はまだ正式にアメリカ合衆国国歌ではなかったのだから皮肉である。ピンカートンとシャープレスが乾杯しつつ「アメリカよ永遠に」と歌う場面でオーケストラにそのフシが高らかに鳴りわたれば、それはどう見ても「アメリカ国歌」に思えるからだ。はからずもプッチーニは、この曲がのち(1931年)に合衆国国歌となることを予言したような結果となったが・・・・。

 「天国のアナクレオンへ」は、当時はまだ米国国歌でなく、英国や米国で流行り歌となっていた「酔っぱらいの歌」に過ぎなかったのに、なぜここに引用されたのか? となると、プッチーニはこれを単にその「アメリカの酒の歌」という意味で利用したのだろうか?
 このあたり、詳しい方のご教示を待ちたい。

コメント

一昨日拝観しました

ゲスト解説者のAlexandra Wilson博士はmusicologistだそうですから、米国々歌とスーザのマーチを混同するなど信じられませんね。
とはいえ、私もプッチーニが作曲した当時The Star-Spangled Bannerが正式国歌ではなかったという事を教えていただいて初めて知りました。
ということで英語版Wikipediaで調べた孫引きで恐縮ですが、The Star-Spangled Bannerの詩は1814年作られたという事、それが当時流行していたTo Anacreon in Heavenの曲に乗せられて(若干のアレンジを加えて)瞬く間にAmerican patriotic songとして知られるようになったという事、1889年には米国海軍に公式に採用されることになったとの事です
そして1916年に時の大統領Woodrow Wilsonにより国歌とすることを提唱されて、1931年に議会承認を得て正式に国歌となったとの事ですから、プッチーニの作曲当時には実質上国歌も同然とみなされていたのではないかと思います。
少なくともプッチーニは単なる酒の歌とは思っておらず、そもそも外国人である彼が原曲を知っていたとも思えません(ここら辺は蝶々夫人だけに「推量」でありますが)。

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