2021-06

2017・5・20(土)ノット指揮東京響 ブルックナー「5番」原典版

      ミューザ川崎シンフォニーホール  6時

 前夜に濃厚なシャルク改訂版で聴いたブルックナーの「交響曲第5番変ロ長調」を、今日は本来の清楚な原典版で聴く。毒消しになったか?

 ジョナサン・ノットと東京交響楽団のブルックナーは、これまでにも「3番」と「7番」「8番」を聴いた。いずれも細部まで緻密に練り上げたアプローチで、壮大な音の大伽藍というよりは、均整の豊かな現代の建築、といったものを連想させる演奏だった。今回の「5番」も、ほぼ同様の路線上にあるだろう。

 ただ、前回の「8番」では、概してイン・テンポで押し切った堂々たる演奏だったのに対し、今回は第4楽章最後の頂点で、予想外のアッチェルランドがかけられていた。ここで加速を施す解釈というのはむしろ珍しいだろうが、これには全く共感できない。
 そういう慌ただしい終結にしてしまうと、そこの音楽が備えている壮麗なコラールと、その内側で揺れ動くリズムおよび低音部の8度の跳躍との壮大な調和による大建築の威容を、完全に損なってしまうからである。

 だがそうした点を除けば、「ノットのブルックナー」は、概して几帳面で正確、真摯な力に満ちて爽やかだ。要所でのクレッシェンドの迫力も、ここぞという個所での全管弦楽の力感に富んだ昂揚も、なかなかいい。水谷晃をコンサートマスターとする弦楽器群も強力で、各主題を清澄に描き出していた。
 なお、これはあまり言いたくないのだが、東京響のホルン・セクションに、最近どうも以前ほどの冴えと安定度とが感じられないのは、どうしたことか?

 第1部では、小曽根真をソリストに迎え、モーツァルトの「ピアノ協奏曲第6番変ロ長調」が演奏されていた。小曽根のピアノの独特の透明な音色と、軽やかな表情とが映え、またノットと東京響の演奏も引き締まって集中力に富んでいた。
 せっかく彼が弾くからには、せめてカデンツァで、もっとジャズの手法を取り入れて奔放にやって欲しかったのだが、指揮者の考えとの兼ね合いもあるから、そう自由にやるわけにも行かないのかもしれない。

 私は今でも、かつて彼が宮崎国際音楽祭でモーツァルトの「ジュノム」協奏曲を弾いた時のことを思い出す。アンコールでジャズをやり始め、それがいつの間にか「ジュノム」の第3楽章に近づいて行くと、聴いていたオーケストラのメンバーが三々五々アドリブで加わって来て、最後は全合奏で鮮やかに終ったため、聴衆は湧きに沸いた(指揮者のデュトワは、その時にはもちろん楽屋に戻っていたままだった)。あのような光景がまた繰り返されないものかと、彼がコンチェルトを弾く時にはいつも心待ちにしているのだが・・・・。
 なお、今日の小曽根のアンコールは、レクォーナの「スペイン組曲《アンダルシア》」の「ヒタネリアス(ジプシーの歌)」。これも軽やかで美しい。

 東京響のこの定期は、今日と明日の2回公演だが、同じく今日と明日は、高関健と京都市響がこのブルックナーの「5番」を定期で取り上げている。これもまた偶然の「かち合い」の一例だ。
 また明日は、西宮の兵庫県立芸術文化センターで、井上道義と大阪フィルもブルックナーの「9番」を演奏する。ブルックナーも結構モテている。

コメント

これも時代か

ブルックナーは、東条先生言われるように、几帳面で正確、仕上がりは良かったと思います。ただ、几帳面に、ブルックナーはこんなに美しいところがあるんです、と示してくれるのはありがたいが、そのために、音楽が流れるというより、ブルックナーを「やって見せている」感が強くなってしまっている。20世紀の巨匠と同じことをやってもしょうがないと言う気持ちはわかるが。モーツァルトは、退屈、の一言。アンコールのジャズど真ん中「マイウィッチズブルー」は、鮮やか、の一言。

そこは重戦車みたいに

同じことをなぞるだけで気が引けますが、ロジェヴェンさんのあとでは端正さが物足りないというヘンな気持ちになります。また、コーダは重戦車が轟音を立てて進むが如くどっしりと突き進んでもらわないといけません。せっかくその瞬間を70分待ってたんだから、あのアッチェランドに「やめてくれぇ」と心の中で叫んでました。それと、ホルンのあのひ弱さはなんですか!何度かやられると、次の出だしが怖くて怖くて・・・これではいけません。
なんか、すべてが東条さんの追認コメントみたいになって独自評価がなくてすみません。ちょっと不完全燃焼ゆえ、愚痴っぽくなっていたらご容赦のほど。
(蛇足)今までの彼のブルックナーでは、些か長かったけれど3番が印象に残る演奏かな?

不満のコメントに安心

演奏に満足しないコメントを読んで、むしろ安心しました。ノット監督だからたっぷり拍手するというようなお客さんの多そうな会場の雰囲気に、このところモヤモヤしていたので。

一日目、四階で聞いたときには、他の方も仰るようにただブルックナーの音が流れているだけという気がして期待はずれでした。
二日目はステージ近くの二階席で聞きましたが、こんどは迫力があって、木管を中心に「東響の音楽」を聞くことができ、大満足でした。モーツァルトも近くで聞けば、やはり東響はモーツァルトがうまいなと感じました。二日目の方がミスも少なく安定していました。二日目のソリストアンコールは自作のジャズで、会場も沸きましたよ。
ホルンさんは、絶妙ないい音の回もあるのですが、今回はヒヤヒヤでした。メンバーによるのでしょうか。
「フライングブラボーやフライング拍手」というアナウンスには笑ってしまいましたが、それにもかかわらず拍手し始める人がいたのが残念です。
ノット監督の回には、東響の艶のある音がくすんで痩せて聞こえることが多い気がして(艶を消すのは敢えてなのでしょうが)います。今回は痩せてはいなかったけれども、このコンビならもっと響きをあわせてはっきりと演奏できるのではないかと思いました。
僕も一番印象深いのは最初の三番です。そのあと期待値を高めすぎているのでしょうか。

ブル5と9番

ブルックナー5番は朝比奈/大フィルの十八番だった。特に4楽章コーダだけに用意された金管のバンダ群との組み合わせが大迫力。(シカゴ響では断られた)大伽藍の大黒柱をぬうようにホルンの合いの手がゆったりと強調される。2度聞いたがこの記憶があるので他の指揮者、高関、小泉、児玉氏らは音が埋没して物足りなかった。、(井上/大フィルは今回未聴。)
5/21西宮芸文ホールの井上/大フィル9番、ここでの大フィルがどう響くか興味津々だった。第一楽章はゆっくりしたテンポで開始され、井上氏はショスタコでの動きと対照的に静的で落ち着いた指揮ぶりだった。、1部の詩曲。タイスの瞑想曲(独奏前橋汀子)と3楽章がバトン無しで1、2楽章がバトンありで指揮した.オケの音はいつもより硬質だったが低弦も豊かな響き。(16型)、
やはりさすがのブルックナーオケだ。咆哮の後のppが美しい。3楽章の冒頭、コンマスの崔氏が椅子から伸びあがって強烈に弾く。再現部も同様。
井上氏はここでチェリビダッケから学んだブルックナー演奏を披露したのかもしれない。他の曲(4,7,8...)を聞き逃したのは残念でした。5/28は下野/芸文オケが6番を演奏しこれも聴きに行きます。

ブルックナー1年生

私はクラシック聴き始めて30年、ブルックナーを敬遠していました。理由は多くの同様の方と同じだと思います。2016年秋宮崎市へブロムシュテット、バンベルク響を聴きに行き(大分市在住)、ブルックナーの7番を聴いたのが私のブルックナーデビューでした。以来ブルックナーにはまり、CDを買い漁りました。朝比奈隆、マタチッチ、ヴァント、チェリビダッケ等を好んで聴いています5,7,8,9番が特に好きです。ですから、2日連続のブルックナー5番について、大変同意しつつ興味深く勉強させていただきました。大分という地方都市では、40年間欠かさず来てくれる日本フィルの存在が大変有難いのですが、今年はそれにプラスして3月、福岡にも、またまたブルックナーの7番を聴きに行きました。下野竜也、読響、もしかしたらブロムシュテット、バンベルク響よりも良かったですよ。田舎に住みながら半年に2回もブルックナーを聴けたのはとても幸運でした。同時に都会を羨ましくも思いました。今度は何処かで8番や9番を聴きたいものです。

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