2017-11

2017・5・18(木)サロネン指揮フィルハーモニア管弦楽団

     東京オペラシティ コンサートホール  7時

 主催は東京オペラシティ文化財団。ストラヴィンスキーの「葬送の歌」(日本初演)と、マーラーの「交響曲第6番《悲劇的》」を組み合わせた、注目のプログラム。
 ホールは満席、心底から熱心な聴衆が集まっていたことは、演奏への集中力の雰囲気とカーテンコールの拍手とで推測できる。

 「葬送の歌」は、ストラヴィンスキーが恩師リムスキー=コルサコフ追悼のために書いた3管編成の大管弦楽のための作品で、初演後1世紀ものあいだ楽譜が行方不明になっていたが、一昨年春にサンクトペテルブルグ音楽院の図書館でパート譜が発見され、昨年12月にゲルギエフ指揮により初演されたという曰く付きのもの。
 「火の鳥」そっくりの冒頭部分などは、明らかに初期の彼の作風を示している。10分ちょっとの長さの作品だが、興味深い作品が聴けたものである。

 「第6交響曲《悲劇的》は、スケルツォを第2楽章に置いた版で演奏された。
 この超大編成の交響曲は、このオペラシティのコンサートホールには、些か度を越しているかもしれない。編成はスコア指定通りではあるものの、しばしば訪れる頂点では、アシスタント1人を加えたホルンは9本、同じくアシスタントを加えたトランペットは7本、それが他のすべての楽器群とともにいっせいに咆哮・怒号し、しかもある個所ではシンバルも4対に増やして轟くのだから、もう耳を聾する大音響となる。
 「濃密に過ぎる」と皮肉ったR・シュトラウスの言葉が今更のように思い出されるだろう。第4楽章など、どうみてもマーラーはやはり狂気の作曲家だ・・・・という印象まで生まれて来る。

 とまあ、今まで何十回となく聴いていたこの「悲劇的」が、これほど凶暴なものに聞こえたのは、二十数年前にシノーポリが指揮した演奏を聴いて以来(あれもフィルハーモニア管弦楽団だった!)のことだ。それはこのホールの音響の中で聴いた所為だけでなく、やはりサロネンのつくる音楽の強靭なエネルギー性と、オーケストラの巧さ、特に金管楽器群の強靭さによるところが多いだろう。

 といってもサロネンは、もちろんただ傍若無人にオケを鳴らしまくっていたわけではない。第1楽章では、他の多くの指揮者のように「アレグロ・エネルジーコ」のみを強調することなく、むしろ「マ・ノン・トロッポ」の指定を重視し、どっしりと構えたテンポで、この行進曲調の楽章を見事に制御して行った。
 また、第3楽章頂点のこの上なく美しい個所(練習番号59の部分)で、オーケストラに、詠嘆調になることなく、非常な緊迫感を保ったまま濃厚に歌わせて行ったあたりも、実に巧いものだという感がする。

 それにしてもまあ、先日の山田和樹指揮の「7番」の終楽章の「躁」に続いて、この「6番」の・・・・。すっかりマーラーの毒にあてられた感だが、そのくせ、お前はマーラーの交響曲の中で今どれが好きかと訊かれれば、第一に「7番」、次に「6番」と答えるだろう。

 「6番」が終ったあと、サロネンの左腕の動きに応え、ホールの中は物音ひとつせず、フライング拍手も起こらず、長く静寂が支配し、やおらあって轟然と拍手が巻き起こった。サロネンはオケが引き上げた後も、2回も単独でステージに呼び返されていた。

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10番クック版

マー、ラーを1番から聞き始めて50年、今では第一に10番(クック版)そして7番、6番、4番ただほかの曲もすぐ復活するのがマーラー。ウオークマンを寝ながら聞くのが至福です。ミキシングでコンサートでは聞こえない音まで拾ってくれているので。

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