2017-06

2017・5・13(土)児玉宏指揮神奈川フィル ブルックナー8番初稿版

      横浜みなとみらいホール  2時

 児玉宏と神奈川フィルは、何年か前にブルックナーの「4番」を演奏したことがあるはずだが、私は聴けなかった。したがって今回初めてこのコンビの演奏を聴いたわけだが、指揮者との相性も良いのだろう、今日の神奈川フィル(コンサートマスター石田泰尚)は、実に見事な演奏を聴かせてくれた。ブルックナーの「交響曲第8番」の、1887年初稿版(ノーヴァク版第1稿)の演奏である。

 第1楽章では未だ少し硬さを感じさせたものの、楽章を追うごとにその演奏は密度を高めて行った。特に第4楽章では、豊麗な音色で沸き立つ弦楽器群を中心に、全管弦楽が総力を挙げ、瑞々しくしなやかで、風格に富んだ音楽をつくり出した。
 それは剛直さとか、重厚壮大といった特徴とは全く違う、むしろ柔らかい、人間的な息づかいを感じさせるスタイルの演奏なのだが、その特徴がブルックナーの未だ整理されていない素朴な楽想の構築と、不思議なほど合っていたような印象を受けたのである。

 いずれにせよこれは、神奈川フィルが持つ多様な特質の一つが浮き彫りにされた好演と讃えられてよかろう。
 かりにこの本番がもう1日あれば、次の演奏では、第1楽章にはもう少し柔軟さが甦り、第2楽章のスケルツォ部分にももっと緻密さが生まれるだろう。今日はホルンやトランペットに若干の不安定さも聞かれたが、それらも解決されるだろう。たった1回ではもったいない演奏だった。

 児玉宏の指揮は、ある種の自由さを備えているけれども、確信に満ちて力強い。
 彼は、この「第1稿」がもつ一種の「乱雑さ」━━と言って悪ければ「未整理の構築」の全てを魅力的なものと見做す、という観点から演奏をつくり上げる。
 こういう指揮者の手にかかると、第1楽章最後に付与された第1主題の最強奏による終結も、ブルックナーが常套手段としていた第1楽章終結のスタイル━━「8番」の改訂版を除く彼のすべての交響曲の第1楽章は、必ず第1主題の強奏で終る━━の顕れなのだ、ということが納得できるのである。

 そしてまた、第2楽章のトリオや第3楽章後半での、現行版とは別もののような楽想も、抵抗感なく、自然に面白く聴き取れる。
 しかも、この初稿版の第3楽章の第225小節~234小節の個所や、第4楽章の【O】(223小節~242小節)の個所を聴けば、それらがどんなに魅力的なものであり、ハース版でそれが復活されている(ノーヴァク版には無い)ことが、如何に素晴らしいアイディアだったか、ということまで感じてしまうだろう。

 児玉宏という人は、大阪響の音楽監督・首席指揮者時代(2008~2016)の活動が、ブルックナー・ツィクルスなどにより文化庁芸術祭大賞、大阪市民表彰、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞するほど高く評価されている。そのわりに、首都圏では意外なほど「知る人ぞ知る」的な存在に止まっているのが残念である。
 いっそ神奈川フィルの首席客演指揮者にでもなってブルックナー・ツィクルスでもやってもらったらどうかという気もする。そして、東京のオーケストラも、もっと彼を積極的に招聘し、ワーグナーの編曲ものや、彼が標榜する「手づくりの」ドイツ・オペラ指揮をやってもらう機会をつくるべきではなかろうか。
     →別稿 音楽の友7月号 Concert Reviews

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