2017-07

2017・4・19(水)ナタリー・デセイ&フィリップ・カサール・デュオ

     東京オペラシティ コンサートホール  7時

 ナタリー・デセイ(ドゥセ―)が、歌曲集とオペラのアリアを歌う。
 考えてみると、彼女の活動歴も随分長い。声そのものを全盛期のそれと比較してどうこう言っても仕方がない。むしろ今の彼女が歌唱にどのような表現を試みているか、それを味わう方が重要だ。

 モーツァルトの「フィガロの結婚」(スザンナ)と「魔笛」(パミーナ)、グノーの「ファウスト」(マルグリット)では、オペラらしく表情の大きな、劇的な歌唱を聴かせるのは言うまでもないが、シューベルト、プフィッツナー、ショーソン、ビゼー、ドビュッシーなどの歌曲集においてもそれは全く同様で、その表情の濃さたるや、いかなる歌手に比べても極端な域にまで達している。
 ソット・ヴォーチェを多用して歌詞の内容を強調する手法は、ドビュッシーの歌曲などでは、そのフランス語の発音の特徴などもあって、自然に受け取れるが、シューベルトあたりでは、その歌唱スタイルには、時に戸惑わされることもある。とはいえ、CDで聴くのと異なり、ナマのステージでは、歌曲においても彼女の演技━━雄弁な身振りによって、視覚的な効果が加わるので、また違った良さが感じられるだろう。

 シューベルトの「若き尼僧」の最後の「ハレルヤ」を、あんなに少女っぽく、清らかに夢見るように歌った例を私は知らない。また「糸を紡ぐグレートヒェン」は、最後の「Meine Ruh ist hin」以下は、普通はピアノのデクレッシェンドおよびリタルダンドとともに冒頭回帰の如く、再び悲しみに落ち込んで行くように歌われるものだが(彼女もCDではそのように歌っていた)今日は最後まで激しい感情に揺れ動いたまま歌を結んで行ったのが印象的だった。

 ピアノのカサールも、ソロでドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」などを弾いたが、そこでは弱音ながらも重厚な響きを出すという、本性も垣間見せる。
 コンサートの1曲目の「フィガロ」の序奏の前に、彼が突然モーツァルトのソナタの一節を弾きはじめてみせ、デセイが「何よそれ?」という芝居を見せたり、アンコールの際に2人が何も持たずに出て来たようなフリをしながら、いきなり譜面を手品みたいに取り出して聴衆を爆笑させたり、ユーモアのある光景も多かった。彼女が曲間に咳をしたら会場も一斉に咳をし始めたなどという出来事には、今日はクスクス笑いだったが、欧米の演奏会だったら大爆笑となっただろう。

 アンコールではドリーブ、ドビュッシー、R・シュトラウスの歌曲やオペラから計4曲が歌われたが、デセイの「(ペレアスと)メリザンド」が聴けたのは貴重だった。一番最後は、花束とケーキとがステージに出され、デセイへの「ハッピー・バースデイ」をピアノに合わせ聴衆が歌ってお開きという具合。

 それにしても、彼女のオペラの舞台が日本でもっと観られていれば、と、かえすがえすも残念である。先年の「椿姫」での、夫君ロラン・ナウリとの共演による名演は忘れられないが、DVDで出ている「優雅なインドの国々」とか、「天国と地獄」とかが、生のステージで日本のファンに紹介されていたらどんなによかったか、と思う。もう機会はなかろう。

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