2017-05

2017・4・18(火)ギルバート指揮東京都響「シェヘラザード.2」

     東京オペラシティ コンサートホール  7時

 珍しい曲をやってくれたものである。
 「.2」(ポイント・トゥーと読む由)となっている通り、リムスキー=コルサコフの交響組曲ではない。
 アメリカの現代作曲家ジョン・アダムズが2014年に書いた「ヴァイオリンと管弦楽のための劇的交響曲」である。
 初演は2015年3月、ニューヨーク・フィルと、今日の指揮者アラン・ギルバート及びソリストのリーラ・ジョセフォヴィッツにより行われている。日本では今回が初演(但し2日目)。4楽章からなる、50分近い大作だ。

 白石美雪さんのたいへん解り易いプログラム解説を参考にさせていただきつつ、この曲の内容を要約すれば━━「アラブの男性中心社会で虐げられ、死と隣り合わせで語るアラビアンナイトの女性シェヘラザード」の存在をさらに拡大し、現代のアラブ、もしくは世界の戦争の中で男たちに抑圧されている女性たちの闘いと解放を描く、ということになろう。シェヘラザードの中にこういう女性像を見出したジョン・アダムズの発想は、実に興味深いものがある。

 各楽章の標題は以下の通り。
 第1楽章は「若く聡明な女性の物語━━狂信者たちに追われて」、第2楽章は「遥かなる欲望(愛の場面)」、第3楽章は「シェヘラザードと髭を蓄えた男たち」(宗教裁判の場面)、第4楽章が「脱出、飛翔、聖域」。

 ヒロインのシェヘラザードは、リムスキー=コルサコフの作品におけるそれと同じように、ソロ・ヴァイオリンで描き出される。事実、ここではヴァイオリン・ソロはしばしば抗うように、闘争的に、激しい表情で奏される。最後は解放されたように、浄化されたように、清澄な表情の裡に終って行く。
 従って、一方の大編成のオーケストラは、彼女を取り巻く戦争の世界、女性たちを蹂躙する男性中心社会を描くことが多くなるだろう。それはしばしば暴力的に、威圧的に怒号する。

 だがソロ・ヴァイオリンは、断じてたじろぐことはない。これを弾くリーラ・ジョセフォヴィッツの演奏が、まことに凄い。激烈と温かさが交錯するダイナミックな表現も卓越しているが、演奏するジェスチュアの劇的なさまも━━ある程度の意識的な演技もあるのだろうが━━シェヘラザードかジャンヌ・ダルクか、といった感で、あたかもオーケストラと戦っているかのよう。第3楽章での管弦楽とソロ・ヴァイオリンとの猛烈な応酬は、たしかに標題と照らし合わせても整合性がある。

 それにしても、ジョン・アダムズの音楽の、何という多彩な音色か。第2楽章での官能的な音色など、あのメシアンの「トゥーランガリラ交響曲」を連想させるところさえある
 これまでに聴いた「中国のニクソン」や「ドクター・アトミック」などのオペラから思い浮かぶジョン・アダムズといえば、どうしてもミニマル・ミュージック作曲家のイメージに囚われてしまうが、この劇的交響曲は、それらとは全く違い、「きわめてまっとうな」スタイルの音楽の範疇にある。それは実に起伏が大きく、目くるめく美しさをもっている。

 アラン・ギルバートも、鮮やかな手腕を示したし、都響(コンサートマスターは四方恭子)の柔軟な反応による演奏も素晴らしい。
 プログラムの前半にはラヴェルの「マ・メール・ロワ」全曲版が演奏されたのだが、これも遅いテンポの中に、色彩感をよく出した美しいものだった。
 二つの色彩━━ひとつは叙情、もう一つは劇的。
 これは、注目すべき定期公演だった。
   →別稿 モーストリー・クラシック7月号 公演Reviews

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