2019-05

8・15(金)旅行日記第1日 エディンバラ国際音楽祭
ゲルギエフ指揮ロンドン響のプロコフィエフ・チクルス第1夜

  エディンバラ、アッシャー・ホール

 風格あるアッシャー・ホールは、いま一部を改装中。何も音楽祭のさなかにわざわざ工事をやらなくても、とは思うが、何せ19世紀末に建ったホールで、相当老朽化が進んでいるらしい。ステージ裏側の楽屋の通路は数年前に札響英国演奏旅行に同行して訪れた時と同様、狭くて足の踏み場もない。
 舞台はシャンゼリゼ劇場とよく似た造りで、奥は階段式。ティンパニや金管など後方に配置される楽器は2メートルも高い所に並ぶことになる。その後方の階段にもぎっしりと客を詰め込んで座らせていたが、音が吸われて残響ゼロの乾いた音になってしまっていたのは、そのためだろう。

 ゲルギエフとロンドン響は、今日から3日間にわたりプロコフィエフの交響曲チクルスを行う。
 初日は「古典交響曲」で開始された。CDで聴く演奏(ロンドンでのチクルス)と同様に、あまり細部に拘泥しない演奏で、練習不足なのかどうか定かではないが、プログラムの幕開けとしてはピシリと決まったものともいえない。

 しかし「交響曲第2番」になると、あの荒々しい「鉄と鋼の交響曲」といわれる作品の特色が見事に発揮され、鋭く凶暴な咆哮が続いて嵐のような演奏になる。こういうタイプの作品であれば、たとえ練習不足であろうともゲルギエフの野生的な面で独自の世界を築けるわけだ。
 が、叙情的な個所に至った時には、いつの間にか弦楽器などには、あのゲルギエフ本来の特徴たるしっとりした厚みと光沢のある響きが現われていたのだった。こういう点からも、オーケストラとの呼吸が既に合っていることを感じさせる。

 休憩後は、まずレオニダス・カヴァコスの詩的で、しかも見通しのいいソロによる「ヴァイオリン協奏曲第1番」。彼の流れのいい演奏にはいつも惚れ惚れさせられるが、ゲルギエフもまたここで意外なほどの叙情性を強く打ち出した。
 そして最後の「第3交響曲」では、あの「炎の天使」のモティーフ群が目まぐるしく飛び交い、不気味なエネルギーが蠢動するさまが鮮やかに示された。特にこの「3番」でのフィナーレの終わりにかけての、何か巨大なものが恐ろしい勢いで迫って来るような演奏は、久しぶりに聴いたゲルギエフぶしともいうべきものであった。

 このプロコフィエフの交響曲集は、面白い。1曲だけ抜き出して聴いた場合にはそれなりの印象に留まるのだが、こうして作曲順に3曲を続けて聴いてみると、彼の中で作風が変貌していく過程を追体験できるし、彼が如何に並外れて大胆不敵、自由奔放な音楽性の持ち主だったかを如実に感じることもできる。「古典交響曲」も決して手遊びの曲などではなく、アンファン・テリブル的な性格の裏返しなのだということが実感できよう。
 12月に行われる日本でのチクルスは番号順の演奏ではないが、さて、どのように受け取られるだろうか。

8時開演、10時半終演だが、観光シーズンということもあって街なかは深夜まで賑やかだ。雨こそ降らないが曇り空。気候は昼間でも涼しいくらいで、特に夜は冷える。ホールの中はそれ以上に冷える。服装は全員カジュアルだから、気楽でいい

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