2017-02

2017・1・26(木)井上道義指揮新日本フィル 武満プロ

      サントリーホール  7時

 定期公演での「全・武満徹プログラム」というのは、これまで数えるほどしかなかったはずである。よくやってくれた、という感だ。
 今回は、いかにも井上道義らしいスタイルのプログラム構成で、彼みずからがトークを入れ、演奏者やゲストへのインタヴュ―なども交えつつ演奏して行くという形の演奏会だった。彼のトークは時々八方破れになることもあるのだが、今日は要を得て解り易かったし、また曲の多さに比して、予定時間もさほどオーバーせずに終ったのには感心させられた。

 今日の定期で取り上げられた作品は以下の通り。
 最初に、作曲者を音楽活動に引き込んだ縁のシャンソン「聞かせてよ愛の言葉を」を、SPレコードと手巻式蓄音機で再生して聴かせ、それから演奏に入る。曲は順に、
 オーケストラと大竹しのぶの歌で「死んだ男の残したものは」、
 木村かをりのピアノで、「二つのレント」の一部と、その改作版「リタニ」、
 そしてオーケストラで、「弦楽のためのレクイエム」「グリーン」「カトレーン」「鳥は星形の庭に降りる」という大曲が演奏され、最後に「これはアンコールのような形でお聴きいただきたい」との井上のコメント付きで「ホゼー・トレス」からの「訓練と休息の音楽」および「他人の顔」からの「ワルツ」が演奏された。

 かように、一味も二味も違うプログラムである。なお、「カトレーン」でのソリストは木村かをり〈ピアノ〉、崔文洙(ヴァイオリン)、富岡廉太郎(チェロ)、重松希巳江(クラリネット)、大萩康司(ギター、特別出演)。コンサートマスターは崔文洙。

 井上道義の指揮する武満作品は━━これは予想した通りだが━━どちらかと言えば闊達で開放的な表現である。
 所謂日本的な静謐さとか、沈潜した叙情といった要素をあえて意識的に排除したような演奏であり、それよりも作品に秘められた「生」への力を見出し、それを強調している演奏のように感じられる。ご本人の意図はどうか知らないけれども、少なくとも私にはそう感じられるのである。
 しかしこれは、武満作品への多様な解釈が生まれる一つのきっかけとして肯定できる手法だろう。あの「弦楽のためのレクイエム」さえ、極めて芯の強い、毅然とした佇まいを感じさせる演奏になる。

 ただ、それ自体は結構なのだが、新日本フィルの演奏が少し粗っぽく、勢いに任せたようなものになっていたことだけは、甚だ気になるところだ。「弦楽のためのレクイエム」にしても、曲想のやや明るい「グリーン」にしても同様である。もう少し丁寧に、共感と愛情をこめて演奏できなかったものか?

 就中「カトレーン」に至っては問題が多い。━━この曲は、私がFM東京勤務時代に担当していた番組「TDKオリジナルコンサート」の200回記念委嘱作品として、公開録音での初演と、ラジオ部門芸術祭大賞獲得に至るまでの作業に一役買わせていただいた立場からも、とりわけうるさい注文を出したくなるのだが・・・・まあそれは別としても、この曲の演奏には極度の緻密さ、精妙さという要素が絶対不可欠であることは主張しておきたい。

 「カトレーン」は、第一に「オーケストラと四重奏のための作品」なのであって、「オーケストラと4つのソロ楽器のための作品」ではないことを念頭に置かねばならない。初演した時の「タッシ」は、メシアンの「世の終りのための四重奏曲」を演奏するために集まり、がっちりと組んだ「四重奏団」だったから、その「四重奏」と「大管弦楽」との対比は、明確に表されていた。
 その意味で、今日のソリストたちは、技術的にはともかく、いかんせんそのあたりに大きな問題があったのではないか。

 また今回、この曲の題名「QUATRAIN=四行詩」たるゆえんの「4小節」単位の構成にさほど重点が置かれず、ただ連続して流れ行く音楽として構築された(ように聞こえた)ことも、やはりこの曲を何かまとまりのない作品というイメージに陥らせる結果を招いていた感を否めない。しかも、テンポも素っ気ないほど速すぎた。

 ステージ上で彼も語っていたが、確かに、この「カトレーン」は、演奏者にとっても、聴き手にとっても、非常に難解な作品であることは確かだろう。初演で指揮した小澤征爾以外、だれの指揮で聴いてもさっぱりまとまりのない曲に感じられてしまう。これら多くの要素があるために、残念ながら演奏の機会が少なくなっているのも事実なのである・・・・。

 その点、今日の演奏の中では「鳥は星形の庭に降りる」が、最もオーケストラの密度が濃く、瑞々しい叙情の裡にも緊迫感があった見事な演奏だったことを特筆しておきたい。だがそれは、武満の作風そのものの反映でもあるだろう。

 最後の2曲はしばしば演奏会でも取り上げられる曲で、今や耳慣れたものとなった。
 また「死んだ男の残したものは」(山下康介編曲)を歌った大竹しのぶは、たった1曲の出演ではもったいないほどの存在感。こういうタイプの歌唱のプログラムを、最初のシャンソンの蓄音機再生に続けて置いた選曲センスは秀逸である。
 そして、その「武満の愛した3拍子」(トークでの井上の指摘)に応じ、プログラムの最後に「ワルツ」を置いた選曲構成も秀逸といえよう。
 井上の才気が全編にあふれた、貴重な演奏会であった。
     音楽の友3月号 Concert Reviews

コメント

武満作品およびTDKオリジナルコンサート

武満作品の全曲演奏で記憶にあるのは20年以上前の岩城/メルボルン響でが記憶にある。岩城氏が首を痛めてガードしながら杖をついての指揮ぶりでした。岩城さんは武満氏の崇拝者でした。この時は個人的に別のプログラムのアルプス交響曲を聴き、武満作品はNHKのTVを録画したものを聞いているしだいです。
TDKオリジナルコンサート、大坂でも放送されよくエアチェックして楽しみました。東条先生がされていたのでしたか。なつかしい。フルニエのバッハやベーム/ウインフィルらオープンリールでいまだに持っております。デッキが不調で聞けないのが残念ですが。

かつて、中島健蔵が放送で、シェーンベルクの「浄められた夜」について、「聴けば美しいと思うが、聴いてみたいとは思わない」と語っていたが、武満にも同じような感想を持つ。随分予習したのだが、結果、東条先生言われる「おざなりの反応」しか出来なかった。大方の聴衆もそうかも知れないが。最後「他人の顔」のワルツで、纏まったメロディがリピートされるのを見て、何かホッとした。

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