2017-05

2016・12・26(月)ヤクブ・フルシャ指揮東京都響「第9」

     サントリーホール  7時

 12月の都響は首席客演指揮者フルシャの世界。「第9」は3回指揮して、今日はその最終公演。協演は森谷真理、富岡明子、福井敬、甲斐栄次郎、二期会合唱団。コンサートマスターは矢部達哉。

 予想通り、引き締まって瑞々しく、贅肉も誇張も皆無でストレートなフルシャの指揮だ。といって、昨日のタリのような坦々たる音楽づくりとは違い、デュナミークの対比もさらに大きな、豊かな起伏を備えた構築である。
 聴き手がベートーヴェンを古典派の作曲家として捉え、一切の猥雑物を排除してその純粋な精神とのみ対決しよう、というのであれば、この演奏は充分それに応えることのできる存在であろう。呼吸の合った指揮者とオケの演奏は、アンサンブルも個々のソロも、響きのバランスも上々であった。

 プログラムは、この「第9」1曲のみ。気分の上でも集中できるし、早く終るからいい━━などというのはわれわれ仕事で聴きに行く業界人の台詞だが、お金を払って、特に家族連れで「年末の行事」として聴きに行く人々の中には、何かプラス1曲、という好みもあるかもしれない。
 だが今日もほぼ満席、それも入門者というよりは、このフルシャと都響のとにかく「第9」を聴きに来た、というコアなお客さんがかなりの数を占めていたのでは━━とはこちらの勝手な推測だが、演奏終了後の拍手やブラヴォ―の声の質からすると、それも当らずとも遠からず、ではなかろうか。

コメント

曲数の件

「エグモント」序曲とかを適当に演られるだけなら、さっさと本編を聴かせろと思ってしまいます。 (かつてケント・ナガノが現代モノを前プロに置いたコンサートは、面白かった)  世間は「第9」かもしれませんが、私にとっては、デュトワ&N響を聴いてその年が終わるといった感じです。

コメントの桂豚丸 殿

第九を聴くときは、プログラムはこれ一曲だけでいいと私は個人的には思います。でも、「前座」を置く意味も理解はできます。
それはいくつもあります。遅れて来る客のための配慮、聴衆の耳を馴らす、奏者のウォーミングアップ、プログラムを増やしてお得感を出す(第九公演乱立で他と差を付ける必要性)等。
まあ悪趣味な前座は嫌なものです。また最近はアンコールを置く所もあります。私はこのような弓取りも不要と考えます。
クラシックを聴く裾野が広がってこのような事態になってるのは正直憂える所ですが、しかし総合的に見るとやむを得ないのかもしれません。

ノーザン殿

こちらも名指しで失礼させて頂きます。別の方にも言えることですけど、内容がどうであれ管理者によって承認、公開されているコメントに第三者がいちいち文句をつけるというのもどうかと思われます。ですが、①「遅れて来た客への配慮」 - きちんと時間を守って集中している大多数への配慮は?? ②「奏者のウォーミングアップ」 - ??です。“本番”でウォーミングアップとは客に対して失礼ではないか?意識の低さを感じます。 ③「プログラムを増やしてお得感を出す(第九公演乱立で他と差を付ける必要性)」 - 全く気の入ってない流すだけの演奏を何度も聴いています(②の結果がこれではないでしょうか?) プロなら演奏で差をつけるべきだと思います。 ④「悪趣味な前座」 -ナガノのこと?  以上、納得できかねます。

>シンゴさん

あまり公演には来ておられない?
その①と②は極当たり前の話でしょう。
オペラ公演とは違うと言われたりするかもしれませんが、序曲/前奏曲は①(遅刻)対策で本来は考えられているし、②(ウォーミングアップ)対策では主要曲や主要アリアは2幕以降に置かれる事が多い。これは作曲家自身が興行の次第を考え配慮してるもの。
また、これも裏方をよく知っておられる東条先生の前で書くのは何ですが、公演主催者は遅刻してくる人がいる事も予め配慮してプログラムしてるのは判る話でしょう。
世の中いろんな人がいる事、いろんな事情がある事はイメージする余裕が欲しいものですね。
③以下については割愛。

“通行人”氏は沢山聴かれてるのでしょうか? それでいてあのコメントなら他人事とはいえ『絶望的』(出来るだけ穏やかな言葉を選びました) と言うしかない。 「当たり前」の一言で済ませられては、堪ったものではない。その程度の簡単な問題でないことは芸術的感受性のあるファンなら理解できること。“通行人”氏が業界、楽団関係者でないことを祈る。 新年早々、こんな低次元の議論をしなければならないとは先々暗い。 それに散々文句を言っておいて「割愛」とは無責任、無礼ではないでしょうか?

追記

「序曲/前奏曲=(遅刻対策)」って一体何時の時代の話してる? まともな演奏を聴きたい向きは、「2曲目以降からでいいや」ということになりはしませんか? ジョナサン・ノットのように2曲目以降に意味をもたせて続けて演奏させる指揮者も居るというのに。非常にガッカリなさるでことでしょう。

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補足

遅刻が「当たり前」「当然」と考えられている方の為に不躾ではありますが、この場をお借りして私が実際に体験させられた話を。 読むのが面倒ならスクロールして頂いて結構です。 数年前、某在京オケが横浜でマーラーの交響曲第7番を演奏した日のこと。 第一楽章終演後、数十名の遅刻客が御入場。各階の最後部にて立ち見状態で御鑑賞。それで済めば御の字だったのだが、第三楽章終演後、一斉に各々がレセプショニストの先導でドタバタと自分の席に傾れ込んで来る。やがて第四楽章の演奏が始まるが、自分の席を見つけられない遅刻客とレセプショニストが、まだホール内でバタバタやっているのだ。遅刻客を席に誘導した女性レセプショニスト2名が子供みたいにキャピキャピと声を出しながら(!!)私の横を足音をたてて通り過ぎて行く。遅刻客がチラシの束を床にバラまく。念の為に今一度書くが、演奏中なのだ。クラシック音楽愛好家ならマーラー:7番第四楽章がどんなかわかりますよね?すぐ傍でこんなことされたら台無しですよ。隣席した女子大生は、生まれて初めての生オーケストラのコンサートを半年前から楽しみにしていたそうで「いつもこうなんですか?」と私に聞いてきた。 コンサート終演後、客2名が主催と思しきスタッフにクレームをつけている。私も後日、主催に問い合わせたが、「平日の夜は仕方がない」「マエストロの了解は得ている」とのことだった(無責任!)。 たとえ如何なる事情があろうとも遅刻が正当化されることは断じて無い。肝に銘じるべきだ。

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